要旨は、アメリカ大統領選挙の根底にある、知識社会における格差、分断のお話。
知識社会では、一部の知識階級に富が集中して…という、ドラッカーも三十年くらい前に言及していたテーマである。
個人的には、知識社会という言葉のイメージにそんなにピンときているわけではないのだが、まぁ、ホワイトカラー産業中心の社会と考えれば良いのだろうか。
ピンときていないなかではあるのだが、一つだけ確信を持っているのは、知識社会の「知識」とは、文字通りの知識ではない、ということだ。
これだけ手軽に、質の高い情報が大量に入手できる時代においては、単に知識があるというだけでは、何の価値も無いはずだ。
それよりも大事なのは、当事者として実際に味わった経験、それも成功体験を持っていることだと思う。
社会が成熟していくと、成功機会そのものが貴重になっていくので、その経験を持っている人間に、さらに機会が集中する。
平たく言えば、みんな「勝ち馬」に張りたいのだ。
そうして、知識格差というか、経験格差が拡大していく。
これはもう何処の国でも同じ事であろう。
じゃあどうやって成功体験を勝ち取るのか、という話は、いろいろ議論があるのだけれど、きっとこの流れは今後も続いていくと予想する。
まぁ、ご参考ということで。