人間到る処青山あり

諸々よもやま話(とりあえず)

事業再生のキモ

最近読んだ面白い記事がこちら。

https://www.advertimes.com/20170724/article255054/

 

衰退していた雑誌を、新しい編集長があの手この手で立て直すストーリー。

工夫満載なので是非ご一読を。

 

「衰退の力学」に反する新規事業開発はどのように進めるか、というのは以前書いたことがある。

http://dai19761110.hatenablog.com/entry/2017/06/02/201915

 

最近は「仮面ライダーモデル」と「ドラえもんモデル」と名付けているが、前者は仮面ライダーが「昔の子供」だった父親母親を取り込んでいることになぞらえ、「かつてのユーザーの今」に再設計するモデルで、後者はターゲットは「今の子供」だが、「今の市場」に最適化して再設計するモデルである。

それはともかく、冒頭の記事のように、新規事業開発という文脈ではなく、本業がダメになった場合、どう立て直すか、という問題は存在する。

 

ダメになった原因を分析して対処するという、コンサルっぽい普通のアプローチは当然やるべきだが、解決策は、多分以下の三パターンだと思う。

一つは、新規事業開発の話と同様に、顧客か市場の「今」に再設計するもので、事業モデルが古くなって市場と合わなくなった原因に対処する。

 

もう一つは、本業がもともとスタンダードとしていた原理原則を徹底するというもので、組織が抱えがちな内向き傾向や緩みが出ておかしくなった原因に対処する。

「当たり前」を徹底するだけで再生するパターンは多く、冒頭の記事はまさにそれ。

 

そして三つ目が、上記二つを一気にやる、というもの。

本当にダメになってくると、二つ目で止血しながら、一つ目で伸ばす、ということができないと、立ち直らない。

 

できれば事業再生なんて場面は、起きないに越したことはないが、新規事業開発で培った能力が生きる場面でもあるのだ。

まぁ、ご参考ということで。

 

 

辞め時

今日は政治の世界で辞任のニュースが続いた。

会社員の辞め時というか、現役であれば転職を決意する時、ということになるのだけれど、自身で何回も経験し、転職のお手伝いを仕事にしていた小生にとっても、残念ながらハッキリした理論があるわけではない(もちろん、辞めざるを得ないというのとは別)。

 

周囲の価値観とのズレが明らかになる、スキルや経験・待遇に頭打ち感がある、単純に飽きた、等々あるだろうが、いずれも理解できるといえば理解できるし、(転職先でそれが解決できるかは未知数なのだから)理由になっていないといえばなっていない。

転職したことがない方にとっては、ひょっとしたら、意外とライトな理由で転職するんだなと感じられるかもしれない。

 

しかし、転職にはタイミングはあると思う。

大した理由もなくなんとなく転職活動を始めたら、バババっと内定が出て、「さぁどうしよう」という相談はたくさん受けたことがある。

 

長々転職活動をして、なかなか決まらなかったのに、ある時拍子抜けするほど簡単に好条件のオファーが出たり。

そういうのを繰り返し見ていると、つくづくタイミングなのだな、という風に感じる。

 

理由はないがタイミングがある。

なんだか変な感じもするが、転職というのは結局「相手(採用企業)のある話」なので、理由があろうがなかろうが、お互いのタイミングが揃ったところで決まるということなのだろう。

 

なんか「おっさん化」して枯れた感想のようでもあるが、今日のニュースを受けて、つらつら考えた次第。

まぁ、ご参考ということで。

 

 

 

アイデアは質より量

これはもう、アイデア発想の領域では、鉄板で語られている話。

最近色々と考えていて、新規事業開発関連では特に、現実のビジネスシーンでは、圧倒的にアイデアの量(数)がたりてないのではないか、という問題意識に至っている。

 

量が確保できる働きかけを行っていないから、ボトムアップの提案の数が枯渇する。

量が確保されていないので、イマイチなネタをいつまでも抱えてブラッシュアップしようとする。

 

量が乏しいので、微妙な事業案を切り捨てる決断ができず、ズルズルと検討し続けたり、事業がやめられなくなったりする。

量が乏しいから、起案者への要求が厳しくなり、「志や覚悟」を求めてしまい、起案者のメンタリティとギャップが生じてしまう。

 

なので、まずはアイデアの量を追求することが、何よりも大事なのではないかと、最近考えているのだ。

まぁ、ご参考ということで。

 

「なぜ」を問うのは限界がある

製造業の現場では有名な、「なぜなぜ分析」という手法がある。

ある事象に対して、「なぜ」という質問を重ねていくことで(通常は5回)、事象が起きた真の原因を探るというものだ。

 

ちゃんとした本だってある。

https://www.amazon.co.jp/なぜなぜ分析-実践編-小倉仁志-ebook/dp/B00HZGBQGY/ref=pd_sim_351_1?_encoding=UTF8&psc=1&refRID=GC3WN696EAKJ5ZS74RJC

 

しかし、「なぜなぜ」には、やってはいけない領域もあると、個人的には考えている。

それは、人の気持ちに関わる部分だ。

 

「なぜその事業をやりたいと思ったのか?」「なぜ転職したいと思ったのか?」なんでも良いが、動機や背景、気持ちについて、「なぜ」を重ねられるのは、せいぜい2回だろう。

人間というのは、行動経済学を引き合いに出すまでもなく、極めて非合理な生き物である。

 

そこを論理で詰めても、大抵答えられないし、仮に答えられたとしても、間違った理由、こじつけの理由を引き出してしまうことになりかねない。

間違った理由を引き出してしまうと、その後のアクションを全て間違ってしまうことに繋がり、却って問題を生じる。

 

なので、「なぜかはうまく説明できないけれど、なんとなくこれが正しいと思う」という感覚を突き詰めすぎず、曖昧なことを曖昧にしておくスタンスも、時としてとても重要なのではないかと考えている。

きっちりビジネスに取り組んできた人にとっては、とても気持ち悪い話なのだが。

 

まぁ、ご参考ということで。

 

 

 

皆さんテレワーク、してますか?

今日はテレワーク・デイだそうである。

http://teleworkgekkan.org/day0724/

 

小生はお陰様でテレワークの様な働き方をさせてもらっている。

正確に表現するなら、会社に在籍している時間があまり取れない、という方が適切。

 

直行・直帰の世間一般に合理的な範疇で仕事をしているだけでテレワーク的になる、というだけなのだが、意味もなく出社させられない今の会社には深く感謝している。

個人的にはメリットだらけで、特にデメリットは感じない。

 

メリットは、

・圧倒的に時間が効率的

・お陰で業務量も増えるし、成果もモチベーションも維持しやすい

・仕事の負荷をコントロール出来るので体調を崩しにくい

・家族との時間が取れるので極めて円満

・寝る前にチャチャッとメールを返しているだけなのに、「すごい遅くまで働いている感」が出る(笑)

ということが代表だろうか。

 

ただし、テレワークを推進するために、幾つか気をつけていることがある。

・モバイルPCの機動力

→オフィスをそのまま持ち歩くだけのスペックと、持ち歩いて嫌にならない軽さ、使い勝手の両立、そしてやっぱりリュック(苦笑)。

 

・ペーパーレス

→上記の論点と近いが、紙の資料ベースで仕事をしていると、どうしてもテレワークにならない。

はじめは多少不便かもしれないが、ペーパーレスに振り切れば、圧倒的な便益を享受できる。

 

・こまめなレポート

→離れているので、普段何と向き合っていて、どんなことに笑ったり困ったりしているのかを、上司と日常的に会話する。

特に「困っている」は、上司も普段部下がいなくて寂しいので(笑)、ここぞとばかりに頑張ってくれるし、そういう意味では信頼関係の醸成にも効果あり。

 

・フットワークの軽さ

→家から離れられなくてテレワークという方もいるけれど、幸いにして小生は逆なので、会社に居ない利点を生かし、極力、現地現物現場に行けるように努めている。

それによって新たな発見もあるし。

 

まぁ、ご参考ということで。

 

 

文化が行動を支配する

今日は以前大変お世話になった、メーカーの品質保証のプロフェッショナルの方と三年ぶりに再会した。

現在その方は、いろいろな会社のコンサルタントとして、品質関連の改善に取り組んでいるそうなのだが、大変興味深いお話をお伺いした。

 

現在コンサルティングに入っている会社は、大手や大学の研究開発部門からオーダーをいただいて、小ロットの専用品に近い機器を製造するメーカーなのだそうである。

そうなると、常に沢山のモノを生産するわけではないので、製造・設計・原価低減の考え方やノウハウ、外注先へのオーダーの仕方など、なかなかレベルが上っていかないそうだ。

 

そして、その状態を「当たり前」として何十年も経営してきてしまうと、一般的な製造業では普通のアクションが、そもそも発想すらしない、という事になってしまう。

ということで、コンサルタントがガンガン現場に入っていき、改善させるポテンシャルが幾らでもあるということになる。

 

ところが、そういう「当たり前」は、企業の成り立ちから分け難く一体になった文化で、それが現場の一人ひとりの行動を支配してしまっているという実態があり、コンサルタントの指導することは、極めてベーシックですぐにでも実行可能なのに、なかなか現場は動けないのだそうである。

だからコンサルタントとして関わるのは、結果を出すのにとても時間がかかるのだ、というお話であった。

 

そのお話を大変興味深く伺い、小生が感じたのは、組織として新規事業を生み出すのも、同じではないかということ。

これに関しては、また機会を改めて申し上げたいが、新規事業は失敗の可能性を視野に入れて取り組むものだが、既存事業が強い会社は、なかなか失敗を許容することが難しい。

 

これはある種の企業文化であり、その文化は、組織全体の行動の隅々まで支配する。

なので、新規事業を成功させるというチャレンジは、ある意味組織の文化を変えるところまで視野にいれた仕掛けになるのでは、と最近考えている。

 

まぁ、ご参考ということで。

日本のサラリーマンの底力を見た!!

昨日は、クローズドな勉強会に参加して、某自動車メーカーの自動運転技術について、最新の状況を拝見する機会を得た。

この領域、昔ながらの日本の規制の厳しさや、海外事例の華やかさもあり、「日本のメーカーは大丈夫なのか?」と勝手に心配しておったわけだが、なんのなんの、研究の蓄積は数十年に及び、最新のプロトタイプも、「なんだもう出来てるじゃん」というレベル。

 

まだまだ研究の余地はあるものの、ある領域では、人間のペーパードライバーを完全に超えている。

厳しいレギュレーションにもかかわらず、その枠組みに乗っかりながら、なんとしてでも答えを出す、日本のサラリーマンの執念をそこに見た。

 

そりゃあ、規制を緩和する方が、みんなにとって自由に研究できる環境になるので、より良いものが生み出される可能性は高まるし、正しいアプローチだと思う。

しかし、その規制に文句を言うでもなく、それを所与のものとして結果を出す日本のサラリーマンは、本当に凄いと思う。

 

今日も、ある会社の社長プレゼンに同席し、プレゼンターの完成度に舌を巻いた。

様々なレギュレーション、限られたリソース、たった一回のチャンス。

 

そんな中で、その会社のプロトコルに則ったプレゼンテーションと、完璧に打ち返す質疑応答。

「そりゃ社長もオッケー出すわ」であり「久しぶりに良い仕事見させていただきました」である。

 

昨今、日本企業にポジティブな評価を下す言説は少ないが、いやいやどうして、日本のサラリーマンは凄いよ、と感動した次第。

もっと自由な環境を許してもらえれば、簡単に世界なんか獲れるんじゃないかと思うので、なんとかしたいものである。

 

まぁ、ご参考ということで。