人間到る処青山あり

諸々よもやま話(とりあえず)

綺麗な生き様なんて無いんだよ

小生の周辺で直近話題になった記事といえばこちら。

http://ex-career.org/bankruptcy-6month-mm-0407/

 

ベンチャー企業CFOとして、潰れそうな状態を如何に迎え、過ごしたかという話。

小生はCFOではなかったが、似たような危機は経験している。

 

あの時は本当に、色々な人間の生き様が見えたし、自分の良くないところもわかったし、犯罪こそやっていないが、やれることはなんでもやったと思う。

本当の修羅場の修羅場感の無さというか、なんとかしようというモチベーションも現場になく、なんとなく沈んでいく恐怖と、そんな周囲を一人罵倒するという、(いろんな意味で)最悪なシチュエーション。

 

忘れようと思って忘れられるものではない。

でも一応、おかげさまで今も生きている。

 

あの経験があったから、今も生きていると言ってもいいかもしれない。

そんなことを置き去りにしながら(乗り越えながら、というほどカッコいい総括ではない)、なんとか前を向いて、周囲に価値を提供できる様、日々奮闘する。

 

今日は今日で、みんなそうやって生きているんだなぁ、ということを再認識出来た日。

みなさんに幸多からんことを。

 

まぁ、ご参考ということで。

 

 

 

 

手段と目的を混同してはいけない

何度もこのテーマは扱っているような気がするが、大事だし今日も仕事で話題になったので、何度でも言及しておきたい。

ところで突然だが、みなさんは「武道」と「スポーツ」の違いはなんだと思われるだろうか?

 

もちろん違いは色々あるのだが、その大きな違いの一つは、試合が「手段」か「目的」か、ということではないかと小生は考えている。

武道にとって試合は、あくまで技術を測る、文字通り「試し合い」としての試合である。

 

実際の戦いの場面は、何がどうなるかわからないし(試合に勝って勝負に負ける、という慣用句もある)、試合の勝ち負けを追求する意味は実は大きくなく、あくまでその流派の学びのレベルを体現するリトマス試験紙でしかない(なので、理解されにくいが、勝ちの内容の良し悪しが議論される)。

一方でスポーツの方は、その試合での勝利が全て。

 

すべての努力が、試合での勝利を目的とされ、勝利こそがすべてを満たす構造である。

と、書いた時に、「え、そうなの?」と思われた方も居るのではないだろうか。

 

殆どの「武道」が、現実的には試合での勝利を追い求めているし、「スポーツ」の世界だって、「勝利至上主義」なんて言う表現が出てくる裏返しとして、試合以外の価値を見出すところはある。

 日本は特にスポーツに試合での勝利以外を求める傾向があると思うが、ともかく程度の差はあれ、手段と目的を混同しているのだと思うし、ことほど左様に手段と目的は放っておくと混同されやすい。

 

柔道に階級制ができたのは、もともと試合は手段でしかなかったので、当然いろいろなサイズの敵と戦う可能性があり、その中での試し合いであったのが、勝利を追求するスポーツだと思えば、条件を揃えて置かなければフェアじゃない、という話になったからだと思う。

 今の柔道を否定したいわけではない。

 

これはこれで良さがあるし、無差別級が残っているのは、その本義によるのだと思う。

 いずれにしても、申し上げたかったのは、人間は放っておくと手段と目的を混同しやすいということだ。

 

自戒を込めて。

 

まぁ、ご参考ということで。

 

長いお付き合いを大事にしよう

本日は大学時代の同窓とお会いし、大いに盛り上がった次第。

小生の同窓は法曹の世界にいるので、直接的にビジネスの世界と関わりがある訳ではない。

 

しかし、小生の仕事でも、規制緩和や法改正が新規事業のメインイシューになることもあるし、法曹の世界だって、社会の変化に即した対応を日々求められている。

今日は今日で、大学時代の勉強の記憶を呼び覚ましつつも、来るべき未来に、それぞれの立場でどう向き合うのか、という貴重な意見交換の機会でもあったと思う。

 

しかし、それぞれスーツを着ているというだけで、中身は20年弱の昔と全く変わっていないことを実感する瞬間というのは、極めて愉快なものである。

まぁ、ご参考ということで。

耳年増になるな

エージェントを初めて2〜3年の頃だったろうか。

当時お会いして、今も親交のある方から、「エージェントの仕事は程々にして、いずれは別の仕事にチャレンジした方がいいよ。エージェントの仕事は、色々深い話を知り過ぎて、なんでもわかった様な、耳年増になってしまうからね。」と言われたことがある。

 

エージェントを長く続けるべきではない、という意見には反論が多くあるだろう(小生もその後何年も続けたし)。

しかし、なんでもわかった様な気になるから注意しろ、というお話は、本当に深く心に刺さった。

 

実際エージェントの仕事というのは、どこにも書かれていないビジネスの裏話が満載だからだ。

なるほどと唸らせる、成功譚もあれば、誰もが知っている有名企業の信じられない様なゴシップとか、それこそ「インサイダー情報」どころの話ではない。

 

だからこそ面白いのだが、ネガティブな裏話も多いので、エージェント業もだんだんこなれてくると、「この人(この企業)、こんなにカッコいいこと言ってるけど、実際はどんなもんだろうね?」と身構える癖がついてしまい、動きが悪くなって業績も頭打ちになり…、そんなタイミングの小生に頂いた言葉が、冒頭の「耳年増になるな」というものだった。

今の仕事もそうだが、外部から人や企業に関わる仕事というのは、どんなに工夫しても、相手の一部しか見えていない。

 

なので、たとえネガティブな情報が入ってきても、人によって見解は異なることだってある。

もちろん、致命的なネガティブ情報がある中での取引は厳禁だが、時間をかけ、多面的な見方をしながら相手を理解することを心がけ、決して足を止めない姿勢が大事なのではないかと考えている。

 

言い換えると、わかったつもりにならず、わかっていないかもしれない、という学びのスタンスは決して崩さず、それでいて無知ではないし、経験から学ばない訳でもないし、知恵者ぶって動かないのではなく、運動量を落とさない。

若い頃に頂いたアドバイスは、今そんな形で、小生の行動を規定している。

 

本当に感謝。

まぁ、ご参考ということで。

 

 

 

ちゃんと偉い人と会話してますか?

お陰様で色々な会社からご相談を受けるわけです。

殆ど新規事業テーマだけれど、時に制度設計だったり、人事制度だったり、社内政治だったり、ビジネスプランそのものだったりする。

 

いい加減なやつだと思われたくはないし、一番避けたいのは「あなたがコンサルしてきた会社とウチは違うんです」という線引きをされてしまうと、歩み寄れなくなってしまうので、クライアントにあんまりこういうことは申し上げたくないのだが、「なんでそんなに難しく、めんどくさいことするかなぁ〜…取り敢えずやってみたらええやん!!」と言いたくなることは、ままある。

やったことがないから新規事業なのに、どうしてそんなに確実性を求めるのだろうか?

 

異性と付き合ったことのない人間が、デートのマニュアル読んだって上手くいかないし、現実は「想定外」だらけだから面白いんでしょう?

新規事業は未来に向けた種蒔きだと思えば、子育てと一緒なわけで、子供なんか親の思った通りに育ってくれないでしょう?

 

イノベーションを計画できると思っているのだろうか?

未来を予測できると思っているのだろうか?

 

実務担当の方々と、そんな内容でぶっちゃけトークをすると、だいたいみんな「そうなんです、仰る通りなんです、でもウチの偉い人は全然わかってくれなくて…」というやり取りになる。

でも、あえて外部のコンサル目線で思ってしまうのは、それこそ「ほんとかなぁ…?」と思うことがある。

 

だいたいの「偉い人」というのは、優秀だから偉くなった確率がやっぱり高い。

そういう人からすれば、単純に提案の中身がお眼鏡にかなっていないのかもしれない。

 

不確実性にチャレンジするんだから読めないものは読めない、という話を、膝詰めで話しきれていないのかもしれない。

もっと偉い人の決裁を取れる様、最も良いタイミングを見計らってくれているのかもしれない。

 

会社を動かすことに関して、転々流れてきた小生が申し上げるのもおかしいのだが、自分の意志を通すために、身近な偉い人と、本音で、膝詰めで、ちゃんと話しているだろうか?

実際、膝詰めで会話してみると、「なぁーんだ」なんていうこと、個人の経験としても、クライアントとの事例でも、良くありますよ。

 

ちゃんと偉い人と会話してますか?

まぁ、ご参考ということで。

 

大企業の人は変な劣等感を持つことはないと思う

それなりの年数社会人を続けていて、しかも10年以上ベンチャー企業(あえてスタートアップとは言わない)界隈をウォッチしている。

今はこの十数年で3回目くらいのベンチャーブーム、起業ブームの様に思うが、底堅く盛り上がり続けている。

 

底堅いのは、株式市場が底堅いのもあるし、政府の後押しなんていうのもあるけれど、既存大企業がベンチャー企業に出資したり、買収したり、事業提携をしたり、というトレンドが続いていることが大きいと思う。

裏を返すと、小生の本業が忙しいのとも関係するが、これまでの事業モデルでは、これから先の時代を切り開いていくのは厳しい、という大企業側の危機感のあらわれでもある。

 

その流れがあってか、最近の大企業の人と話をしていると、随分自信なさげな人が増えた様な気がする。

もはや「スタートアップじゃない私たちはイケテナイ」くらいのトーンを感じる。

 

しかしそこは、過剰な思い込みであって、長く見続けてきた小生の立場からすると、大企業にもベンチャー企業にも、それぞれ良いところと悪いところが当然あるのだが、今の世の中的には、ベンチャー企業の良いところにやや光が当たっているだけだと思う。

そこがわかっていないと、ベンチャー企業との関わり方を失敗してしまうし、大企業の良さを見ずに、悪いところばかりフォーカスしてしまい、本来できることもできなくなってしまう。

 

大企業の人の高い問題意識が、かえってイノベーションを阻害する様なことにならなければ、と余計な心配をしてしまう今日この頃。

まぁ、ご参考ということで。

成長に管理が追いつかないのが「成長期」

成長する企業には、人材のニーズが多くて、エージェントとしては良くお手伝いをさせていただいていた。

小生のクライアントは、上場準備会社であることも多く、企業としての成長と、「社会の公器」としての管理体制作りと、二兎を追わなければならない実態であった。

 

そんな場面で、「成長も管理もバランス良く」なんていう話をせざるを得ないのだが、それはある種の綺麗事であって、「何も言っていない」に等しかったりする。

そもそも企業の成長期というのは、(多少優先度は落ちるものの)管理体制をないがしろにしているわけでも無く(上場準備会社であればなおさら)、それなりに取り組んでいるのだが、その体制を上回る成長が進行し、追いつかないというのが実態ではないだろうか。

 

人が急に増えてマネジメント体制を整えなければならないとか、大手企業と取引が始まり複雑な契約を交わさなければならなくなったとか、営業拠点を増やすのにどうしたらいいのか、等々。

将来を見越して体制を整え、その通りに成長するなんて、予知能力があるわけじゃるまいし、不可能に近い。

 

肉体の成長期に、「足だけ伸びてくれ〜!」とか、「ヒョロヒョロじゃなくてガッチリに!」などと願っても、その通りにはならないわけで。

結局のところ、伸びることによる成長痛に対処する形で、対症療法的に組織を構築するしかなく、やれるとしたらもっと大きくなった時のために大きめの服を買っておこうとか、また買い換えなきゃいけないから、最低限のもので行こうとか、そんなことを考えながら動いていくしかないのではないだろうか。

 

まぁ、ご参考ということで。