人間到る処青山あり

諸々よもやま話(とりあえず)

危機で人は育つ

良い会社というのは、人材を育成するための様々な仕掛けを持つ。

研修然り、配属然り。

 

採用から伸びしろのある人材を狙って育てるという考え方だってある。

しかし、優秀なリーダーが引っ張る組織というのは、ポテンシャルがある人材が居ても、その能力を発揮する機会が無い。

 

中途半端なポジションでのリーダーシップは、組織全体の運営の足を引っ張ってしまうからだ。

そうなると、どんなに研修や配属で機会を提供しても、人材がその能力を発揮することはない。

 

本人や組織や制度の問題ではなく、それはある種の宿命のようなもの。

そうなると、優秀なリーダーというのは「え、こんなタイミングで?!」というところで自らの地位を退く。

 

それによって新たなリーダーが産まれ、組織全体が進化することを狙うのだ。

仮にリーダーが産まれなかったとすれば、そんな組織はいずれダメに成ってしまうし、危機にあってリーダーが産まれない組織というのは、結局のところ平時の運営を間違っている可能性も高いので、崩壊は時間の問題でしか無い。

 

これは、究極の割り切りであり、ある意味、組織運営とリーダー育成を天秤にかける、無謀なチャレンジということも出来る。

しかし、それだけの意志と覚悟がなければ、リーダーの育成というのはままならないのだ。

 

優秀なリーダーは、そのことを良く知っていると思う。

まぁ、ご参考ということで。

 

 

 

キャリアの穴を埋める転職

以前も申し上げたことがある話で恐縮だが。

「〇〇のポジションを得るためには、△△と××の経験・スキルが必要なので、それができる転職をしたい」とおっしゃる方が時々居る。

 

目指すものがはっきりしているのは素晴らしいことだし、それに向けたプロセスも設計していて、大変素晴らしいとは思う。

基本的には、目標とはそうやって達成していくものだし。

 

ただ、キャリアに関しては、かっちりとした目標とプロセスの設定は、ほどほどが宜しいのではないかと思っている。

一つは、目標は色々な経験や出会いによって変わりうるものだし、その方が豊かなキャリアになる可能性があるから。

 

もう一つは、採用企業は転職希望者にキャリアを積ませるために存在しているわけではないので、都合のいいポジションを待ち続けていると、ステップアップするチャンスを失ってしまう可能性があること。

また、スキルセットを揃えたからといって、必ずしも希望のポジションにつけるとは限らない(必要条件であっても、十分条件ではないかもしれない)。

 

あと、これは個人的な好みもあるのだが、何か欠けているパーツを埋めようとする考え方が、どうも自己否定から入っているタイプの人も居たりするので、そういう考え方はやめた方がいいと思うのだ。

自分のことが、自分で信じられなかったら、誰も信じてくれないわけで。

 

目標を達成できることを強く信じていて、あくまでもそのマイルストーンであれば良いのだが、自分に自信がないから、欠けているパーツを埋めることで自信を持とうとする人は、一定量いらっしゃる。

そういう方々には、ホントにちゃんと言ってあげたいのだが、今の姿は大抵立派なキャリアだし、そこを認められなければ、どんな経験を積んでも不安は消えないし、自分に自信のない人のところには、結局良いチャンスが回ってこないですよ、と。

 

まぁ、ご参考ということで。

 

 

 

チャレンジをあきらめない

チャレンジといってもT芝社のことでは勿論ない。

いちいち注釈をつけなければならなくなったという意味では、本当に罪作りな事をしてくれた。

 

それはともかく、新しい事業へのチャレンジも、今の仕事の中でのチャレンジも、転職も含めたキャリア上のチャレンジも、人生には色々ある。

上手くいかないこともたくさんある。

 

周りから理解されないことだってある。

周りから理解されないのはちょっと辛いが、上手くいくことばかりだったら、少なくともそれはチャレンジでは無いのだし。

 

それに、人が課した目標は(T芝社がまさにそれだが)チャレンジとは言わないと思う。

自分が心から信じて、やってみようと思ったものこそチャレンジであり、そのチャレンジなら、とことんやってみるべきだと思う。

 

何故ならそれは、自分自身の可能性を信じることであり、正しいプライドを持つことでもあるからだ。

ある側面を切り出せば、自分より強い存在はいくらでもいる。

 

解決不能に思える困難もある。

しかし、それらを克服できるという自信を、自分自身が持たなければ、いったい誰がもたらしてくれるというのか?

 

どんな時も自分の可能性を信じ、チャレンジをあきらめずに取り組みたいものである。

まぁ、ご参考ということで。

 

 

人生の厄介な問いから逃れることはできない

殆どの人が、日々の生活を、「夢」とか、「ビジョン」とか、「ミッション」とか、「目標」とか、意識をすることなく送っていく。

それ自体は悪いことではない。

 

考える必要がないから考えないのである。

しかし、ある日突然、それらの問いに向き合わざるを得ない時が来る。

 

キャリアの転機、転職とか転勤、昇進や降格。

プライベートでも、結婚や出産、育児や介護。

 

そんな時、大抵は悩ましい時だが、「自分は何者で、何を目指すのか?」「何を良しとし、何を悪しとするのか?」ということを、否応無く問われる。

そしてこれらの問いの答えは、何処にも正解がないし、ある程度の答えを見出すのに、それなりの時間がかかる。

 

転機は突然訪れるので、いざその瞬間に遭遇すると、呆然と立ちすくみ、酷い時は考える時間が足りずに、間違った判断を下してしまうことだってある。

それを避けるためには、結局のところ、普段から自分に問い続けるしかない。

 

といっても、ひたすら自問自答をするのも変だし、それで答えが出るとも思っていない。

どちらかというと、多様な価値観、他人のビジョン、ミッションに触れ続けながら、都度「この人はこうだが、自分だったらどう考えるか?」といった、相対比較の中から見出していくのが良いと思う。

 

もちろん、天啓のようにビジョン、ミッションを持っている人は、それで構わない。

でも、それがない人は、多様性の中から自分のアイデンティティを見出すのが正解ではないか。

 

問いの答えを得るのは、早ければ早いほど、残りの人生が楽しくなると思うので。

まぁ、ご参考ということで。

 

 

 

 

伝える、伝わる

面接をある意味プレゼンの場だとすれば、新規事業の支援も、転職の支援も、「誰に対してどうプレゼンするか」を一緒に考えるという意味では、同じだと思っている。

そんな中で、一番大事にしているのは、エレベーターピッチでどう伝えるか。

 

エレベーターピッチというのは、30秒目安で、次のステップに進めるだけの説明と要求、できれば合意形成までをやりきる、というスタイル。

これが十分に磨き込まれた上で、エレベーターピッチを補強する説明を、プレゼンの「尺」に合わせて付け足していく。

 

ではなぜエレベーターピッチなのか?

元々は、突然のチャンスに備えて練習しておく、という意味合いだったと思う。

 

もちろんそれもあるのだが、新規事業のアイデアや面接時の情報というのは、その場で完結することはなく、その後も人の口を通じて伝達されていき、その伝達可能なフォーマットが、30秒のエレベーターピッチだからだと考えている。

 

新規事業であれば「あの事業どんなのだった?」、面接であれば「あの人どんな人だった?」という質問に対して、伝えた相手が何と答えるか、である。

その時に、こちらが考えたエレベーターピッチ通りであれば、まずはOK。

 

「って言ってたけど、私はそう思わなかった」だったら、それは伝え方と中身にギャップがあるということなので、エレベーターピッチの中身を設計しなければならない。

「色々喋ってたけど、どうもよくわからなかった」は最悪。

 

いずれにしても、伝えたことを、聞いた相手が、代わりに説明できる状態になってはじめて、伝わったということが出来る。

そこまでをいかに設計するか。

 

コミュニケーションとは、本当に難しいものである。

自戒を込めて。

 

まぁ、ご参考ということで。

寄り道をしている時間は無い

かつて色々受けた転職相談の中に、自分としては充実したキャリアを歩んでいたのに、突然の人事異動で不本意な役回りにつくことになった、というタイプのものがある。

組織人として、会社の人事に意を唱えるのもはばかられる一方、かつて築いたキャリアは時間とともに劣化していくし…。

 

会社員としての宿命で、単なるわがままなのか、やはり転職するなり意を唱えるなりするべきなのか、大変迷うのが普通である。

もちろん、組織人として、自分の人事に意を唱えるのはリスクが高い。

 

その場は収まっても、あとで蒸し返される可能性があるし。

もちろんジョブローテーションには意味があって、幅広い経験を積むことで、リーダーとしての能力開発につながったり、思いもよらない得意分野が発見されたり、ということもある。

 

しかし、不本意な役回りが、「リーダーとしての能力開発」のためだと思えないのであれば、それは時間の無駄だろうと思う。

「思いもよらない得意分野が発見」だって、それを期待できるのは30代前半くらいまで、あとはセカンドキャリア開発のタイミングなのではないだろうか?

 

だいたい自分の人生なのだから、人の意向に振り回される必要はない。

「我慢をしていいのは、我慢の先に、我慢した以上のリターンが見込める時だけ」そう断言していいんじゃないかと思う。

 

まぁ、ご参考ということで。