人間到る処青山あり

諸々よもやま話(とりあえず)

見えない在庫問題

娘にAmazonタブレットを貸して、保有しているマンガを見せることがある。

父のおすすめを見せるためだったりするのだが、どうも勝手に在庫を貪り読んでいるらしく、はて、と思った。

 

父の本棚にある本を子供が勝手に読む、というのはよくある話だし、別に悪いことではない。

むしろそういうことを期待する父親もいるだろう。

 

そういう意味では、タブレット電子書籍の在庫を掘り返すのは別に構わない。

しかしこの不思議な違和感はなんだろう。

 

何を読んでいるか、よくわからないという違和感。

娘の読む本を(ちょっとは)管理したいという思いと、読むのはいいが何を読まれているかはわからないというプライバシーを侵害されたような気持ち。

 

それはまぁ、今後明らかになっていくだろうし、そうすればまた対処すればいいのだけど、ここで改めて、電子書籍かぁ…と思う。

もう2000冊くらいある。

 

場所は一切取らないが、読み返しても10年以上かかる。

それだけの実在が目に見えない。

 

これがまず直感的に違和感がある。

「いずれまた読み返さなければならない負債」を感じているとも言い切れない。

 

紙の本であれば、物理的な制約で買わなかったであろう本まで持っているという、不良在庫感だろうか。

書籍部屋があって、2000冊並んでいたらこんな違和感はなく、むしろ目にするたびにワクワクしたような気がするし、イマイチな本なら捨てればいいだけだし。

 

電子書籍はその喜びがないのと、捨てるサッパリ感もない。

ライブラリからは削除できるんだけど、捨てる重みがない。

 

やっぱり、どこまで行っても保有する喜びや重みがないということなんだろうか。

それとも、なんだかんだで在庫が存在するというひっかかりだろうか。

 

ちょっと電子書籍との向き合い方を考えたいな。

まぁ、ご参考ということで。