昨日の中井祐樹氏のエッセイで取り上げたが、彼のスタンスは、弟子は師匠を超えるものであり、新たなやり方を見つけていくもの、というもので、武術の世界に居る者として、とても考えさせられたのである。
まずもって、お前は師匠を超える意気込みで取り組んでいるのかということ。
超えるために新しいアプローチ、新しい方法やテクニックを生み出しているのかということ。
ちょっとそこら辺は反省ではあるのだが、言い訳まじりに別のことを述べたい。
ブラジリアン柔術は変化の激しい競技である。
日々新しい技が世界中で生まれ、その攻略法もあっという間に研究され、それらが動画共有サイトを通じて世界中でリアルタイムに流通していく。
そういう変遷を何年も繰り返しているので、テクニックの新陳代謝が激しいのである。
そういう世界を眺めていると、「弟子は師匠を超えていくもの」という考え方に、すごく納得感がある。
一方の合気道の世界では、師匠を超えるのは並大抵のことではない。
下手をすると一生かけても越えられないし、またそういう師弟関係こそ美しいと思われるフシがある。
そこで思うのは、競技や流派のプロトコルが変わる場合は新しい世代の方がより適応していくし、変わらない場合はキャリアの長い人間を超えていくことが難しい、ということなのではないか。
これは武術にとどまらず、他のスポーツやビジネス、会社組織なんかでも同様なんじゃないかと思う。
どちらが良いとは敢えて言わないが、武道の世界で美談的に扱われる「偉大な師匠」という存在の背景には、閉じた世界、閉じたプロトコルという構造・前提があるのでは、と考えた次第。
それでもやっぱり、小生の師匠は偉大だったと思ってるけどね。
まぁ、ご参考ということで。