人間到る処青山あり

諸々よもやま話(とりあえず)

理論の背景にある大事なこと

ドラッカーに続き、鉄板で読んでいない本を読む。

 

本書で提唱されたSECIモデルというのは知っていて、自分なりに理解していたつもりなのだけれども、読んだことがないというのも恥ずかしいので。

暗黙知形式知化し、また暗黙知に発展させていくというスパイラルなのだが。

 

古い本の新装版なので、取り上げられている事例が若干古く、その後の日本企業の展開を知っている立場からすると、あんまり説得力を感じない。

というか、成果が出ているうちは昔のウェットな日本企業のカルチャーも良かったけれど、成果が出なくなると悪しき習慣として激しく叩かれるようになった30年だったと思うので。

 

そう、「カルチャー」なのである。

SECIモデルでは、個人の暗黙知をSocialization、すなわち共同化することが最初のステップになるのだが、これが普通の会社のカルチャーだと、最初のハードルとして大きいんじゃないかと思ったり。

 

暗黙知の共同化というのは、セリフに起こせば「君なにやってるの?」「それどうやるの?」「へー、すごいね」という一連の流れなのだが、これ、身近な同僚に興味を持っている人じゃないと発生しないんだよね。

で、そんなこと当たり前じゃないかと思う人は幸せで、意外と隣の人に興味を持たない人・そういう人が多数派の会社って多いんだよ。

 

いくつもの会社を渡り歩いた小生だからわかる。

上司と部下ならウェットな会社、誰彼構わず興味を持つ人が多い会社(端的に言えばリクルート)、同じ島の人でも一日会話しないのが普通の会社。

 

雑談も起きない会社で、暗黙知の共同化なんていうのを始めるのはまぁ大変だと思うよ。

みんな興味を持ってないものに対して、「さぁ今日から興味を持ちましょう」なんて通用するわけがない。

 

やっぱりカルチャーの問題は大きいんだよなぁ、と改めて思ったのでありました。

まぁ、ご参考ということで。