人間到る処青山あり

諸々よもやま話(とりあえず)

技を磨きながらも其処から自由であること

ライフワークの一つである武芸の話で恐縮だ。

知っている人は知っているのだが、武術研究家である甲野氏の新刊が出ていたので、なんとなく読む。

1700円も払ったんだから、もっと味わって読めばいいのに、どうもビジネス書を一気読みする癖が抜けず、すぐに読み終わってしまう。

甲野氏も72歳かぁ…なんて感慨はともかく、老境に差し掛かった甲野氏によるエッセイ。

 

技、というより身体の使い方も載っているけれど、普通の人は多分再現できないので意味はないのだと思う。

なので、本当にエッセイなんだけれども、人生の半分以上、武術と関わってきた小生には感じるところもあり、本書にそう書いてあったわけではないけれど、心に浮かんできたのが今日のタイトル。

 

我々は一生懸命に技を磨いているのだけれど、稽古を続けていると、その技が例えばドウェイン・ジョンソンにもかかるのか、どうやったらかけられるのか、みたいなことを考えてしまう。

まさにアメリカの諺だったか、「ハンマーを持つ者は全てが釘に見える」というやつだ。

 

ドウェイン・ジョンソンに技をかけなきゃいけないようなシチュエーションになってしまっている時点で武術家としては失敗で、もし争うことがあるとすれば、そこは漢字テストとか西欧人相手なら100%勝てる勝負に持っていかなければならない。

技を磨かなければ何のために生きているのかよくわからないが、そこに囚われているようでは却って危うくしてしまう。

 

さてさて、この先どんな道があるのやら。

まぁ、ご参考ということで。