人間到る処青山あり

諸々よもやま話(とりあえず)

人間が人間であるとは

タイトルが重たいな(苦笑)。

パラリンピックも始まったしね、ということで、こんな本を読む。

 

前から読もう読もうと思ってたのだが、後回しになってしまっていた。

最初に申し上げると、これは非常に面白かった。

 

年末の振り返りでも、きっと取り上げることになると思う。

著者は美学を専門とする研究者なのだが、視覚障害者とともに鑑賞する美術のワークショップがきっかけに、彼らがどのように世界を認識しているのか興味を持ち、インタビューを重ねて本書にまとめている。

 

著者がインタビューしたのは数人だし、それぞれに特徴のある人たちなので、過度な普遍化は良くないと思うし、著者もそのように述べているのだが、彼らの語る世界観が非常に面白い。

我々が「富士山」と言われれば、漢数字の八の字の、あのビジュアルを想起するが、視覚障害者はそうならない。

 

上が欠けた円錐形、立体として認識する。

目が見える人間は、見えるが故に「視点」を獲得し、さらに「視点」がある故に「死角」が必然的に発生するが、三次元でしか捉えられない視覚障害者に「(認識上の)死角」は存在しない。

 

そんな衝撃的な会話が綴られていく。

著者が冒頭に述べるコメントが、本書に通底する。

 

障害を四本脚の椅子から一本脚を取り去ることだと捉えれば、不便で不安定かもしれないが、三本脚で安定している椅子だと捉えれば、不便でも不安定でもない。

こんなような趣旨。

 

ふと、師匠の教えを思い出す。

「人間は作られたように作られていくんだよ」と。

 

「人に育てられれば人の子だし、狼に育てられれば狼の子なんだよ」と。

目が見えなければ、目が見えないなりに完成されていく。

 

それに良いも悪いもない。

そんなことを考えさせられる。

 

是非多くの方に読んでもらいたい本である。

まぁ、ご参考ということで。