日本文化流れで柳田國男。
著作権フリーなので数百円で山ほど著作が読めるのだが、その中から有名な「遠野物語」と「日本の伝説」「歳棚に祭る神」を特に考えなく拾い読み。
「遠野物語」は文語調で書かれた作品で、遠野地方に言い伝えられている伝承を記録したもの。
「日本の伝説」は講演録みたいな文体だが、日本各地に残る似たような伝説・伝承をより集めて語ったもので、「歳棚に祭る神」は季節行事の由来を解説したエッセイ的な短文である。
「遠野物語」に関して、文語調が久しぶり過ぎてちょっと戸惑ったのだが、これはこれで風情があって良いものだねぇと思う一方、こんな文章もう書けないよね、実際…。
文語と口語の使い分けの意味が既に失われているのが大きいのだろうが、柳田國男も一応昭和まで生きてた人だからなぁ。
あっという間に失われたなと。
「日本の伝説」もなかなかインパクトがあった。
日本各地に弘法大師が錫杖で水源を掘り当てた話、というのがあるらしい。
中には弘法大師が産まれる前、死んだ後から伝えられている地域も。
そういえばそんな話、子供の頃に聞いたことがあったなぁと思い出しつつ、娘は多分知らないんじゃないか。
もう一つ、「やまびこ」という、片目片足で人の心が読めるという妖怪(?)の話も各地に登場する。
幼い頃本で読んだことを、本書を読むまで三十数年すっかり忘れていた。
当然娘は知らない。
オチも教訓もない話なので、子供に伝えにくいところがあるのだろうし、片目片足を恐ろしく伝えるのは今時じゃないという大人の配慮もあるのかもしれない。
事情は色々あるにせよ、書いてあることの10分の1も伝承しているのだろうか、という印象で、たかだか数十年で失ってしまったものの大きさにちょっと呆然とする。
歴史ってこんなものなのかもしれないけれど…。
そう思うと、亡き師匠の伝承なんて、どれだけ残せるのかなぁ、なんて思ったり。
まぁ、ご参考ということで。