「誰が言ったか、より、何を言ったか」というのは、組織論の中でよく耳にする話。
正しい意見が通るフラットな組織を作りたい、という意思の現れなんだろうと思う。
でも、そういう意思が現れるということは、実際にはそうじゃない、ということなんだろう。
しかし、組織や社会には必ず権限の偏りがあって、それは必要だからそうなっているのだけれど、権限や権威が集中する人間の発言が重く受け止められるのは、これまた必然。
こんな本を読む。
ずいぶん昔にパッと買った本を、なんとなく引っ張り出してきた。
要約すると、「誰が言ったか」を踏まえて自分自身の「メディア力」を高めること、そして自分自身が心から思うことに発言を寄せていく、といった感じ。
「メディア力」を基礎付ける権威や権力は、努力で手にすることができるかもしれない。
しかし、人の心を動かすために、自身が心から思うことを発言するというのは、ある意味、生き様を規定する話だと思う。
日々真剣に生きて、考え抜いているからこそ、言葉に重みが出る。
そこまで考えると「誰が言ったか」という言葉にも違うニュアンスが感じられてくる。
「あの人は確かな考え方の人だから」「軽々しくいい加減なことを言わない人だから」「真剣に我々のことを考えてくれる人だから」…。
そういう生き様を想定すれば、「誰が言ったか」はとても大事なポイントになるだろう。
自戒自戒!
まぁ、ご参考ということで。