キャズムという概念については、当ブログの読者ならご存知のことと思う。
市場に新しいプロダクトを展開させるにあたり、マジョリティに挑む際の「深い谷」といってよかろう。
一応解説のリンクを貼る。
https://cyber-synapse.com/dictionary/ja-ka/chasm-theory.html
多くのプロダクトが、このキャズムを乗り越えられずに死んでいく。
キャズム理論の提唱者であるジェフリー・ムーア氏は、キャズムを乗り越えるためには、ホールプロダクトにしなければならないと述べている。
ホールプロダクトというのは、品質だけでなくユーザビリティやサポートまで「ちゃんとしている」状態のプロダクト。
なぜならマジョリティの顧客は自力解決などしない、したくない人たちだから。
機能は満たしていても荒削りではダメで、完成されたプロダクトまで持っていくところが、キャズム越えの難しさである。
さて、キャズム理論ではキャズムは市場に存在することになっているが、社内にこそ存在すると小生は考える。
社内キャズムを乗り越えることこそが、ホールプロダクト化であり、キャズム越えなのだと。
どういうことか。
新規事業は小さく始める。
運良く立ち上がり、「スケールさせたいね」という話になる。
社内の関係者が集められ、どうやったらスケールさせられるか、という議論が始まる。
営業系の部門からは、ターゲットや訴求ポイントをハッキリさせてくれないとアクセルが踏めないと言われる。
開発部門からはサービスの仕様とロードマップを示してくれなければリソースは割けないと言われる。
サポート部門からは、精緻なマニュアルと網羅されたフローがなければオペレーションが組めないと言われる。
管理部門からは費用と収益の見通しがないと予算の承認ができないと言われる。
人事部門からは組織計画と社員の業務定義がはっきりしないと配置ができないと言われる。
新規事業の立ち上げメンバーからすると、「ちょっと待ってくれ、そんなの俺たちもわからんよ!」である。
「そんなのわからないなりに試行錯誤しながら、やっとここまで来たんだから、そういうことは一緒に考えてくれるんじゃないの?」である。
これが社内キャズムである。
ここで、「我々も至らぬところがあるんですが一緒に考えてもらえますか」となるか「そんな役人みたいなこと言うならもうええわ!」となるかが、運命の別れ目。
引っ張り出された「関係者」も、良かれと思って参加してくれているが、当事者能力としては限界がある。
そういう人たちに、短気を起こしてはいけない。
我慢強く協力を求め続け、自分の期待するクオリティの十分の一のアウトプットしかなくても諦めない。
そんな先に、ホールプロダクト、そしてマジョリティが待っているのである。
まぁ、ご参考ということで。