人間到る処青山あり

諸々よもやま話(とりあえず)

良い物は物欲を破壊する

昨年こいつを買ったのです。

 

カメラに興味の無い向きには、ただのバカ高いコンパクトデジカメにしか見えないかもしれない。

が、先代を前から欲しかったのと、メーカーの自信満々なカタログ、そしてタッチアンドフィールを踏まえて購入した。

 

その後も小生のカメラ周りは色々動きがあり、メイン装備としていたミラーレス一眼の最新鋭機入れ替え戦とか行ったのだけれど、「メイン装備としていた」と過去形で評価してしまった通り、もっぱら上記GRばかり使っている。

そしてその後も世の中には、新しくてGRよりも性能の良いカメラはローンチされ続けているのだが、欲しいとはなかなか思えない。

 

どんなに性能が良くても、GR より使う機会が少ないだろうと予想がつくからだ。

GRの何がそんなに良いのかと問われれば、携帯性と画質のバランスという一言に尽きる(その分、出来ることと出来ないことがハッキリしている割り切ったカメラでもある)。

 

この画質でGRより小さく凹凸が無いカメラは存在しない。

デニムのポケットに入れようと思えば入る、というのが最大のアドバンテージだと考えているし、そこに価値を感じる人にとってはこれ以上ない存在である。

 

で、つくづく感じるのだが、本当に自分にフィットした物に出会ってしまうと、物欲は無くなるものなんだなと。

個人的な感覚だと、「無くなる」くらいでは生易しくて「破壊された」という方がイメージに近い。

 

あれだけ好きだったカメラが、欲しくなくなってしまうんだったら、いっそGRに壊れて欲しいと謎の思考がよぎってしまうくらいである(笑)。

ま、カメラの話はいいのだ。

 

問題はビジネスである。

競合製品へスイッチする欲求を叩き潰すほどのプロダクトとはなんなのか?

 

それはおそらく性能でもなく、価格でもないし、メーカー都合のロックイン戦略でもない。

GRが携帯性と画質のバランスで勝負したように、複数の要素のバランス・割り切りが、確かに存在するニーズと合致しているプロダクトだと思うのだ。

 

もちろん、性能や価格でライバルを圧倒的に凌駕できる、凌駕し続けられるのならば、その道を行けば良い。

でも、今の世界にそんな製品はほとんど存在しないはず。

 

であればやはり、複数要素のバランス・割り切りが、勝負のポイントなのではないかと、今日も思考を巡らせてしまう。

まぁ、ご参考ということで。