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「大本営参謀の情報戦記」 読了 ~日本人は戦争に向いてないんじゃないか~

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情報なき国家の悲劇 大本営参謀の情報戦記 (文春文庫)

情報なき国家の悲劇 大本営参謀の情報戦記 (文春文庫)

 

 

歴史系繋がりで、昨日に続き本書を手に取る。

コンサルとか営業をやってきたせいか、戦略とか情報(諜報)とかのテーマは好きだったりすることもあり。

 

本書は、太平洋戦争中に陸軍情報参謀として、対アメリカの情報分析に携わった著者による、回顧録現代日本(含むビジネスパーソン)への提言といった一冊。

情報(諜報)に限らず、社会とか組織とか精神構造とか、当時の日本軍が如何に戦略的な過ちを選択してしまったか、類書にも山ほど指摘があり、本書も概ね同じことを言っている。

 

現実を直視せず、都合の良い楽観論をもとに、戦場から遠く離れた場所で(政治)エリートが密室で意思決定する愚である。

その欠陥を、現場の頑張りでなんとか補おうとするが、なまじ頑張ってしまうだけに傷口が広がってしまうパターン。

 

著者も縁あって情報の世界に入るのだが、なんのカリキュラムもなく、見よう見まねで学んでいくのだが、「その時点で負け」という冷静な述懐をしていて、その通りだと思う。

また、情報の世界はどこまでも客観的な事実が重要、という主張も、エピソードを聞くと激しく納得する。

 

米艦隊を対象にした夜間爆撃の作戦において、パイロットたちの戦果報告で、作戦本部が大祝勝ムードになるのだが、そこで著者が一人一人のパイロットに問い直す。

真っ暗闇の中で、本当に撃沈したところを見たのか?対象の敵艦はどのようなサイズ、形だったのか?何隻の編隊だったのか?等々、問い詰めていくとかなり怪しい。

 

おそらく実際の戦果はその10分の1程度だったのだが、自己申告の「大勝利」を前提に、次の作戦立案が為されているという実態が明らかにされるのである。

そこから情報参謀として巻き返しの努力をするのだが、時すでに遅し、というのが歴史の事実。

 

思うに、冷徹に現実を直視しようとすると、携わった人たちの心象を害するような結論にもなりかねないため、婉曲な表現になってしまう。

そこが出来ないところに、日本人の弱さが(自戒を込めて)あるような気がする。

 

もう一つ、戦争のKSFは、結局物量なのである。

にも関わらず、道を極めようとする国民性故か、圧倒的物量の前には職人技などなんの役にも立たない現実を受け入れられない。

 

この辺が、今尚続く日本人の弱点ではなかろうか。

まぁ、ご参考ということで。