人間到る処青山あり

諸々よもやま話(とりあえず)

変わることに期待しない

現代人のストレスというものは、殆どが人間関係に起因する。

嫌な奴から嫌なことをされる、というストレスはあるけれど、意識しにくい別のストレスもあると思う。

 

それは、「相手に変わって欲しいと期待しながら、変わらずにがっかりする」というストレスである。

「部長はもう少しパソコンを覚えてくれたらいいのになぁ」「アイツはもう少し自分の判断で動けるようになってくれたらいいのになぁ」と期待しながらも、現実はそうならず、思わず溜息をつく。

 

溜息が出るんだから、結構ストレスを感じているし、変化への期待値が大きいと、それこそ爆発しそうなくらいフラストレーションが溜まる。

しかしこれはおかしい。

 

「相手に変わって欲しい」という期待は、こちらの自分勝手な思いでしかなく、変わるかどうかは本人の問題であり、相手側からすれば変わる義理は無い。

本当に変える必要があるのであれば、こちら側の被害や、変化に伴うメリットをハッキリと相手に伝えるべきだが、現状のままでも受け流す術を身につけるか、その場を離れる算段を同時並行で検討するのが良いと思う。

 

相手が変わることに期待して、失望というストレスを抱えて消耗するくらいであれば、そこに期待せず温存した体力で何か新しいことに目を向けたほうが生産的だし、幸せだと思っている。

色々経験した小生の処世術なのだが、昔から「変えられるのは自分と未来だけ」と言ったりもするではないか。

 

ところで、新規事業でも「変わることを期待する」事業案というのをちょくちょく拝見する機会がある。

「ユーザーに行動変容を促す」なんて言ったりもするが、これはなかなか難易度が高い。

 

もちろん、行動変容のレベルはある。

Aという商品を買っていたユーザーに、Bという商品を買ってもらうのは、商品力のレイヤーでも実現可能だろうが、習慣を変えさせようというのはかなり難しい。

 

昨今だとヘルスケア、未病・予防のテーマがそれにあたると思う。

生活習慣病は、ダイエットをすればかなり解決するが、これだけのダイエット法が世に溢れているということは、どれも決定打ではないということだ。

 

小生はダイエットの決定打を知っているが、それは生活習慣を変えること。

食事の習慣を変え、運動習慣を変え、睡眠やストレスに影響がある生活全般を変える。

 

ほら、出来ないだろう。

しかしよくよく見ると、実はこういうことを狙っている事業案というのは多いもの。

 

じっくり検討していきたいものである。

まぁ、ご参考ということで。