人間到る処青山あり

諸々よもやま話(とりあえず)

〜日本の会社はもう駄目なんじゃないか?〜 「0秒リーダーシップ」 読了 

今日はサブタイトルを先にしてしまった。

書評というより、ちょっと言いたいことがあり。

 

リンクも張っておく。

0秒リーダーシップ:「これからの世界」で圧倒的な成果を上げる仕事術

0秒リーダーシップ:「これからの世界」で圧倒的な成果を上げる仕事術

 

 

本書については、グーグルなどで人材開発に携わっていたポーランド人の著者(珍しい名字だとは思ったが…)による、これからのリーダーシップについて書かれた本である。

日本在住16年ということで、日本企業にも大変詳しい。

 

リーダーシップは誰にでも必要とか、新しい社会やテクノロジーへの理解とか、公平で真摯なコミュニケーションのスタンスとか、いちいちおっしゃることがごもっとも(嫌味ではない)。

実際そういうことを、組織のあちこちで出来ている会社こそ、現実に伸びているというのは、いろいろな会社に出入りする小生としても、強く実感するところである。

 

ちなみに本書には、イノベーションを生み出すための能力開発的な切り口での解説等もあり、そういったテーマにご興味のある向きにも、一読の価値があるのではないだろうか。

そんな本を読んだ一方で、今日はこんな記事を立て続けに目にした。

 

blog.tinect.jp

facta.co.jp

 

先の記事から少し引用しよう。

「本気で会社を良くしようと考える社員、あるいは高額の給与をもらいプロ意識で働く社員にとってその上にいる人間は、少なくともその社員以上に、成果に対して真摯でなければならないからだ。

社員は無能でも許されるが、幹部が無能であるのは許されない。

上に立つ人間が無能であることによって引き起こされる不具合は、ターンアラウンドの現場でも、数多く目にしてきた。

ただ古株と言うだけで役職にあり、多額の給与を受け取っている管理職に対する社員からの批判。

会社を良くしたいという情熱があるのに、その上司が無能であるがゆえに会社に愛想を尽かし、辞めていく若手社員。

結局、部長なり課長なり、セクションの責任者という肩書を持つものは、実務能力そのものよりも「自分以上に優れた能力を持つ、生意気な部下を使いこなす覚悟があるか」

という素養を持ち合わせているかに尽きる。」

(引用終わり)

それにしても、この当たり前が出来ていない会社が、日本にどれほど多いことか。

 

次の記事からも引用する。

「これほど切羽詰まった状況なのに、社長が直々に生き残り策の案出を命じるのは課長クラスであり、社長が考えるわけではない。その当事者意識の低さに、コンサルタントは「社長は自分で考えてこなかったのだろうか?」と首を傾げる。かつて国鉄改革の先頭に立ったのが、若手の「改革三銃士」だった例があるにせよだ。

かつて証券界にネット証券が表れ、売買委託手数料の引き下げ競争が始まったときも同じだった。収益面で命綱だった手数料が引き下げられれば死活問題になるのが目に見えていたが、このとき多くの社長たちが頼ったのも、現場に通じている課長クラス。当時をよく知るベテランのエコノミストは「老舗の証券会社でも、銀行から社長が送り込まれてくる証券会社でも同じ。日本では社長は自ら考えることをしない。そうした体質は今も改まっていない」と言う。その結果、廃業したり身売りしたりした証券会社が後を絶たず、日本証券業協会の協会員企業は最近まで減少に歯止めがかからなかった。

一方で社長は自分よりも力量に勝る役員が身近にいると「寝首をかかれるかもしれない」として、彼らを子会社に放り出す。周りに残るのは、自分よりも能力的に劣る粒の小さい部下たちばかりだ。その中から次世代の社長が選ばれ、彼らはやはり同じように自分よりも劣る取り巻きに囲まれてその中から次の社長を選ぶため、日本では社長が代を重ねるごとに質の低下が進む。」

(引用終わり)

自分で考えることをせず、現場の中堅に企画させ、ダメ出しをする経営者もまた、枚挙にいとまがない。

 

そんなに文句があるなら、自分で考えれば良いというのに、それをしない。

もちろん、こんな会社が多数派だとは思わないが…。

 

これまでいろいろな企業とお付き合いした経験からすると、長期的に業績が好調な会社は多少の「アレコレ」はあれども、あまり上記のような問題は出てこない。

しかし、短期間でガタガタと崩れていく会社は、大体こんなような問題だらけであると思う。

 

冒頭の「0秒リーダーシップ」で提唱している概念は、至極簡単なことだ。

一言で表現すれば、「良い奴」であるようにし、多様性を受け入れ、新しいことにチャレンジするという、人間として極めてまっとうに生きよ、ということでしかない。

 

こんな当たり前のことを、わざわざ学ばなければならない今の日本企業の課題の深刻さは、背筋が寒くなるようだ。

とっくの昔に、世界は変化し、取り残されているのに、まだ取り返す余裕があると思っている。

 

焦ってスピードを上げたとしても、世界は更にその先を行っているというのに。

先の記事の著者である桃野氏は、「経営者層を中心に10数万人の読者を持つ」そうだが、それだけの経営者がこのような記事を読んでいるのに、読むだけで自分で考えることをせず、課長に考えさせてばかりなのだとすれば、もう日本の会社というのは、とことん堕ちる運命なのではないだろうか。

 

イノベーション」「イノベーション」と騒ぎながらも、まだまだ日本の会社は余裕があるなと感じることが多いのだが、大口の企業倒産とか、マクロ環境の悪化が報じられる機会も増えたように感じるので、いよいよ「冬」が到来するのかもしれない。

ちょっと残念だが、一度堕ちるところまで堕ちないと、日本の会社は良くならないのではと、正直感じてしまう今日この頃なのである。

 

まぁ、ご参考ということで。