人間到る処青山あり

諸々よもやま話(とりあえず)

シニアマーケット雑感

今日、たまたま某百貨店の新店舗に、友人とランチをしに行ったわけです。

11時40分くらいだというのに、客単価二千円超の店に列ができていて、60歳オーバーだとみられる男女がずっと待っています。

 

我々もそのうちの店の一つに並んだのですが、まぁ待ちます。

食べるのがゆっくりなので、回転しないんですね。

 

回転率が上がらないから単価を上げざるを得ないのか?と思わず思ってしまうくらいです(後で食事をして、もちろん単価に見合った内容だったことは補足しますが)。

で、列の前にいるスーツ姿の初老の男性が、待ち時間の間に読んでもらうためのメニューを手にし、店員を捕まえて散々問いただすわけです。

 

「え?何グラム?150グラム?え?」「え?何ご飯?青じそご飯?え?白いご飯と選べるの?」

「大盛りは選べるの?いくら?え?タダなの?!え?お代わりできるの?!おー!」

「こっちは何書いてあるの?」

 

全部書いてあるんだから聞く前にまずちゃんと読めよ、メニューこっちまで回ってこねぇじゃねえか、店員さんも忙しいんだぞ、なんていうことは一切考えず、あぁ食欲旺盛で素晴らしいですねと感じた次第です。

中に通されてみると、やはり同じような客層の皆様が沢山いらっしゃって、食べ終わって片付けられたのに何するでもなく佇む一人客や、我々が席に着いた時には半分くらい食べ終わっているのに、我々が席を立つ時にもまだ食べているご婦人方とかだったりして、普段の我々の生活圏からは異世界な感じが満載です。

 

そんな風景を眺めて感じたのは、こういうお客さんを相手にする商売も大変だなぁという思いより、単に小生の直感でしかないのですが、これはリテラシーと能動性の問題なのではないか、という仮説です。

この百貨店の近隣は、安くて美味しい店が幾らでもあり、そのあと河岸を変えてうまいコーヒーをのんびり飲める店だってあります。

 

調べればわかることだし、食べたあとだって、見所、行き所は沢山あるので、佇んでなくたっていいわけです。

実は可処分所得は多くないのに、調べる能力と意欲がない故に、手近な高級店の外のベンチに座り、席が空くまで待ち続け、オススメされるままにただ食べて、することがなくなったから席を立つ、そんな受け身のシニアの姿を見るのでした。

 

「実は可処分所得は多くない」と思ったのは、彼らの雰囲気もありますし、結局百貨店の中で買った何かの袋を下げている人が全然居ないからです。

もちろん欲しいものが無いのでしょうが、無駄遣いする意欲と余力がなければ、「可処分所得は多くない」というのと殆ど同じことだと思います。

 

「アクティブシニア」をターゲットにした事業プランは、まだまだ見る機会が多いですが、「そんな人はどこにいるんだっけ?」「こういう人たちをアクティブシニアって言うんだっけ?」ということを考えさせられたランチタイムなのでした。

まぁ、ご参考ということで。