人間到る処青山あり

諸々よもやま話(とりあえず)

なぜ新規事業の議論を多人数で行ってはいけないか?

タイトルの話は、新規事業を検討する際には、実は昔から言われていることである。

「新規事業の議論」といっても、アイデア発想の場面と、意思決定の場面と、色々あるのだが、それぞれの理由として、まず意見がまとまらなくなるから、というのはある。

 

また、大勢で議論していると、無難な意見に流され、尖りのないアイデアになってしまうから、とも言われる。

しかし、小生としては、それぞれ「ホントかな?」と思うのである。

 

結論が出ないのも、アイデアが尖らないのも、一義的には議論のファシリテーションが悪いからだと思うのだ。

参加者が多ければ多いほど、無責任な議論になりやすい傾向はあると思うが、正しいファシリテーションがなければ、三人寄っても文殊の知恵にはならない。  

 

実は大きな問題があるのに、尖った風のアイデアが出たりすると、議論のバランスが崩れて間違った意思決定をしてしまうことだってある。

関係者が多くて無難な結論しか出ないのなら、ガバナンスなんかそもそも不要である。

 

では、何が問題なのか?

それは、議論の参加者が増えるほど、不適切な参加者が増えることだと考えている。

 

過激なことを言いたいわけではない。

もともと日本の企業で、新規事業に関わったことがある人というのは、多くない。

 

経験がないから議論が必要ではあるものの、関係者を増やすということは、経験がない人参加者をどんどん増やして行くことになるのだ。

なので、「不適切」というのは、あくまで経験も専門性もない人ということだ。

 

営業の立て直し会議の時に、経理や総務や人事や警備のおじさんを呼んでくることはあるまい。

 シビアな決断だったとしても、営業に責任があり、経験もある人たち数名で議論するだろう。

 

それなのに新規事業となると、警備のおじさんどころか、掃除のおばさんまで会議招集して、「よくわからないから止めておいたら?」というある種当然の意見を導き出し、結局やらない、というパターンにハマってしまうのではなかろうか。

普通の業務では、割と当たり前になっているが、議論に誰を呼ぶかというところから、既に戦いは始まっているのだと思うのだ。

 

多くの企業において、経験がある人が少ない、もしくは居ないという中で、どう意思決定するのか、という難しい判断になることは百も承知だが、その解が闇雲に(不適切な)参加者を増やすということではあるまい。

適切な当事者、関係者を見定めた上で、議論の場を構成することが必要だと思うのである。

 

まぁ、ご参考ということで。