人間到る処青山あり

諸々よもやま話(とりあえず)

細部で全体は構築できないが、細部から全体は崩壊するかもしれない、という話(Amazonデリバリープロバイダーに寄せて)

皆さんはこの話題をご存知だろうか?

http://internet.watch.impress.co.jp/docs/yajiuma/1068372.html

 

通販大手のAmazonが、物流を地域の小規模事業者に委託し、配送トラブルになっている話。

個人的な話で恐縮だが、小生もこのトラブルに巻き込まれたところである。

 

期日までに届かず、在宅していたはずなのにAmazonから不在連絡があり、にもかかわらず不在票も入っていないし、宅配ボックスにも入れてくれない。

そして届けに来たのは、家人曰く「事前に聞いていなければ居留守を使うレベル」の風態・対応だったそうである。

 

これは率直に申し上げて、Amazonの利用を控えようか、という体験である。

・もともと、ヤマトの現場の逼迫ぶりを耳にして、やたらに買うのも申し訳ないなと感じていた

・便利だから利用していたが、代替手段が無いわけではない

・家に大事な家族を置いて来ていて、自分の留守中に良く分からない人間が訪ねてくる状況は不安

・そう思うと余計なものを買い過ぎていた気もするので、浪費防止になるんじゃないか?

となると、小生のAmazon利用熱は急速に萎んでいる。

 

物流という、ECの中では、細部でしかない機能に、全体がひっくり返されようとしている瞬間である。

細部という表現は、物流事業者の皆様には失礼な表現であることをあらかじめお詫びするが、EC事業者の観点からすれば、いきなり自社物流を作り上げることだったり、配達時のUXを上げるところから入ったりは一般的にしないので、全体の中の一部と捉えるのが通常だろうと思う。

 

EC事業を新規に立ち上げようと思った時に、「まず物流は自社で!!」という人はいないし、小生も「ディテールより、誰に何を提供するのかを議論しましょう」と全体観の方へ議論をリードする。

現実として、ディテールを幾ら積み上げても、全体は見えてこないのは、経験上確かだと思っている。

 

しかし、崩壊するときはディテールでも崩壊しうる。

つくづく、全体と細部の設計は難しいなと考えさせられた次第。

 

まぁ、ご参考ということで。