人間到る処青山あり

諸々よもやま話(とりあえず)

ニッチに深く

世の中には本当に賢い人は居るようで。

私の銀行時代の同期は、一生懸命勉強して東大に入ったら、大して勉強してないのにあっさり入学した人間が沢山居て、大いに挫折感を覚えたそうである。

 

小生には想像もつかない世界だが、一つでもすごい資格を、領域をまたいで複数持っている人にも会ったことがあるし、まぁ本当に賢い人は、確かに居るのであります。

そんな人達に突然遭遇したりする中で、我々凡人はどうやってしのいで行くのか。

 

それはもう、「ニッチに深く」しかないのではないだろうか?

そこそこ賢く器用だと、結構幅広く仕事をこなしてしまえるのだが、そういう人ほど、本当に賢い人が出てきた時に、戦いようがないような気がする。

 

書いていて思ったが、これって「AIの脅威論」とちょっと似ていて、ブルーカラーや担当者レベルの仕事は無くならないが、上級管理職や知識労働の仕事こそ、AIに置き換えられる可能性が高い、という話だそうだ。

話は戻るが、一言で「ニッチに深く」と言っても、先の見えない時代に、領域を絞り込んで行くのは怖いと思う。

 

そうなると、取るべきは目の前の領域を「ひたすら深く」である。

本当に賢い人や、AIが入り込めないくらいのところまで、「ひたすら深く」。

 

そうなると結果的に、領域を絞らざるを得なくて、「ニッチに深く」なって行く。

目の前の仕事をどこまで深くやるのか、という疑問もあるかもしれないが、どんな領域でも、「極める」というところまでやると、結構色々なことがわかるものである。

 

まぁ、ご参考ということで。