人間到る処青山あり

諸々よもやま話(とりあえず)

選択にその人間の本質が宿る

自己分析的なエントリを立て続けに書いているが、斯様に「己を知る」ということは難しい。
やみくもに「自分はどんな人間か?」と問うても、なかなか良い答えは巡ってこない。

そんな中で、一つの切り口としてお勧めするのが、自分自身の「選択」の歴史を振り返る、というものだ。
小生は、東京の普通の私立大学法学部出身であるが、何故そこになったかというと、受験勉強を、「一定期間で自分の学力を、『正攻法で』どこまで高められるかのチャレンジ」と捉えていて、最終的に合格した中で、最も偏差値の高いところに入学した、というのが理由だ。

なので、最も偏差値が高いのが経済学部であれば、経済学部に入学していたと思う。
むしろ、受験を終えた満足感は、どこに受かったかではなく、偏差値順に合否が綺麗に分かれた(=小生にとっての『正攻法』の実現)ことであった。

それも(ちょっと変わっていると思うが)己を現すエピソードであるし、忘れてはならないのは、そんなことを言いながらも、文学部系は全く受けていないので、就職に有利か不利か、という打算もきっちりやる人間だ、ということだ。
新卒入社時の選択については、かつてこんなエントリを書いた。

新卒入社で大手企業を選ぶ人間、特に銀行なんかを選ぶ人間というのは、基本的に「保守」か「革新」かで言えば、「保守」だろうと思う。
小生の場合は、金融ビックバンと言われたタイミングで、銀行といえどもこのままでは生き残れないと言われていた中、それにワクワクして選択してしまったので、本来的には「革新」のタイプが、誤って入ってしまったので、辞めざるを得なくなったのかもしれない。

まぁ、話は逸れたが、ランチ一つとっても、選択という行為に、その人の「らしさ」と「そのとき置かれた状況」が反映されている。
過去を振り返る際に、「そのとき置かれた状況」を整理してみると、そんな状況下で、そんな選択をしてしまう、その人「らしさ」が浮かび上がってくることと思う。

まぁ、ご参考ということで。