人間到る処青山あり

諸々よもやま話(とりあえず)

キャリアのピークを過ぎたことを受け入れる時

月曜日から切ない話をする。
大企業勤めの会社員のお話。

大企業勤めの会社員というのは、遅くともだいたい40代中盤には、その会社でどこまで出世できるのかというのが、組織のロジックと、これまでの自分の実績と巡り合わせ、そして自身の能力の自覚から、だいたい見えている筈である。
そして目に見える形でハッキリするのが、55歳の役職定年というところだろうか。

なんともシビアなのだが、古き良き日本企業でも、目に見えない選抜はあって、実はここ20年位で変わったことといえば、役職定年が明確化されたくらいであろうか。
さて、転職のご相談に乗っていると、40代中盤くらいの方で、「外の世界でもっと活躍できる機会を」という大企業出身者の方に遭遇することがある。

そういった方は、実は自社での出世に限界を感じてのご相談であることがしばしば。
しがみつくでもなく、あえてリスクのある選択をしようとしている位だから、自信もプライドもあり、実際能力が高い方が殆どである。

そう思うと、大企業の出世は、つくづく「巡り合わせ」であるなと思い知らされる。
そういった方々で、過去たくさんのご縁を作らせていただいたが、とは言え、今の会社で出世できないフラストレーション、「俺はまだこんなもんじゃ無い」という自己承認欲求を、新しい会社で解消しようというのは、基本的に上手くいかない。

組織の中で評価されたい欲求というのは、人の性であるが、実のところ仕事での優秀さとは関係がなく、企業側はそこに拘る人材が優秀ではないのを知っているので、その素振りが見えると落とされるのである。
また、「三顧の礼」で迎えられることに憧れる人もいるが、これも勘違いで、結局雇う側と雇われる側、強いのは雇う側であって、側から見れば「三顧の礼」で迎えられたように見えても、実情はシビアだ。

とは言え、それ位、自分を認めてほしいという熱い感情を持っている人は、それはそれで魅力的なのだが。
何れにせよ、自分自身のキャリア、人から見てどのように評価されているのか、虚心坦懐に受け入れ、謙虚になれた人の方が、結果的に再度大きなチャンスを掴むような気がしている。

まぁ、ご参考ということで。