人間到る処青山あり

諸々よもやま話(とりあえず)

相手の頭にはキャパがある。

何のお話か。
頭脳には限界があるというのはまぁ、当たり前なのだが、その場の瞬間瞬間で処理できる情報量、記憶できる情報量に限りがある、ということをお伝えしたい。

商談でも面接でも良いのだけれど、1時間、誰かとコミュニケーションをとる時間があったとして、相手が自分の話をどこまで理解し、どれだけ後々まで記憶に残してもらえるか、というのは、極めて限定的だと思っている。
話した内容を100だとすれば、優れた聴き手で理解出来るのが70〜80(これはコンテクストの共有度合いでももっと上がったり下がったりする)、後々まで記憶しているのが5〜10で、しかもコミュニケーションの最初と最後に大きく依存しやすい、というのが個人的な考えだ。

文字通り、相手のキャパシティが「空の箱」だとすれば、あなたが話す内容は、幾つかのネタという名の「小さな箱」の集合体だ。
その「小さな箱」は、そのインパクトと出す順番、時間的長さによって、バラバラのサイズになっており、コミュニケーションとは、相手の空の箱に、サイズのバラバラな小さな箱を詰め込む、立体パズルの様なものである。

そしてコミュニケーションのデザインとは、相手の有限な「空の箱」に、こちらの理解してほしいネタを、如何に納めていくかという、その場での「取捨選択」の観点と、ゴッソリ忘れてしまうネタの中で、記憶させるものをどう残させるかという、「時を経てもインパクトのあるネタのデザイン」という、二つの観点を考慮しなければならない。
インパクトのないネタが目一杯入っているだけでは記憶に残らないし、インパクトが大きすぎる(様に聞こえる)ネタがドカンとあると、それしか記憶に残らず、バランスの悪い人物評価になってしまう。

そう、「(様に聞こえる)」と書いたように、そこはコントロールをするところなのだ。
個人的には、後々まで記憶に残る、「あの人はこんなことを言っていたな」と思い出させるネタを二つか三つ(それも少し多面性が見えると、バランス感が出る)、まず大きなものを相手の「空の箱」に放り込み、そしてその二つか三つを補強する小さなネタを隙間に入れていく、というのが効果的なのでは、と思っている。

コミュニケーションはデザインであると、強く思っている。
まぁ、ご参考ということで。