人間到る処青山あり

諸々よもやま話(とりあえず)

話、聞いてる?

ちゃんと相手の話を聞く。

聞く、というのは、相手が話し終わる最後まで聞く、というのもあるし、しっかり内容を理解するということもあるし。

 

傾聴のテクニックだけで何冊も本があるけれど。

聞いたらその内容を理解してなんらかのアクションに繋いでいく(何もしないというアクションもあるが)。

 

相手の立場になって考える。

自分と向き合う相手が何を考えているのか、自分の行動をどのように受け止めるのか、あらかじめ考えてから行動に移す。

 

それを心配りと捉えたり、マーケティングと捉えたりする人もいるけれど、それだけで何冊も本がある。

相手の立場になって考えたら、誠意を持って働きかけて、お互いをより良い関係に持っていく。

 

しっかり考えて行動する。

「空・雨・傘」と言ってもいいけれど、観察して、どうなるか予想して、対策を準備しておき、目の前のものに闇雲に反応しない。

 

これを戦略と称して、何冊も本が出ているけれども。

即断即決と闇雲・脊髄反射は全然違うので、「空・雨・傘」を超高速で行えるように日々訓練しておく。

 

小学四年生の娘に、毎日懇々と言い聞かせているのだが、なかなか難しい。

なんとはなれば、仕事の場面で全部できている人は既にそれなりなので、永遠にできないかもしれないけれど(苦笑)。

 

職業人の訓練って結局、躾のレベルで大きく決まっちゃうのかなぁ。

まぁ、ご参考ということで。

キラークエスチョンを考える

住んでいるマンションが大規模修繕でね…。

修繕委員会などにも参加しているわけですが、近々工事業者さんの選定に入るのです。

 

入札で5社から応札があり、ここから「で?」というところから始まる。

我々素人なので、何人集まっても工事業者さんの見積もりの良し悪しなんかわからんわけです。

 

管理会社さんもアドバイスはしてくれるが、見積もりの間違いは指摘できても、良し悪しまではわからない。

まぁしょうがない、入札という勝負の場面で計算違いをするような会社、明らかにおかしい金額を入れてくる会社はやめておきましょう、ということで3社に絞る。

 

で、管理会社さんからは「次は面接です」と言われる。

面接して何処を見るの?結局印象になっちゃうよね?とみんなで苦笑いしながら議論を進めていく。

 

技術の細かいところはわからないし、印象だけに引っ張られても良くないので、何か3社の本質が抉り出せるような(大袈裟?)、皆が当たり障りのない答えを返してきて同じにならないような、それでいて難しすぎず、構えさせない、一見カジュアルだけど本質的な質問をぶつけたい。

要するに普段考えていること、重要だと考えていることがパッと出て、それでいて各社違いが出るような質問。

 

いろいろ考えてみたんだが、一旦下記のようにした。

・マンションの大規模修繕工事において、よく起きる問題(トラブルとその原因)は何処にあると考えているか?

 

「よく起きる問題」で、業者さんの経験値と、それに向き合う姿勢が出るんじゃないかと考えた。

そして、「何処にあるか」という質問にしたことで、業者さんの問題分析力を問うたつもり。

 

「問題は何か?」だと漠然とした一般論を皆答えてくるような気がしたのだ。

whatじゃなくてwhereにしたのが狙いね。

 

さて、どうなるかなぁ。

採用されるかどうかがわからないんだけど(苦笑)。

 

まぁ、ご参考ということで。

ポケットの中身が減れば

先日も書いた通り、ルーチンを色々見直しているわけだが、そういえばズボンのポケットもまあまあパンパンである。

個人の携帯と会社の携帯をズボンの左右ポケットに入れ、ハンカチとキーケースがあると、なかなかなのだ。

 

鬱陶しいのだが必要なので、と思っていたが、四六時中背負っているのだから同じか、ということでリュックの外ポケットに移管し、とりあえずズボンにはハンカチのみとする。

当然スッキリするのだが、一つ気付いたのはベルトが要らなくなるんだね。

 

ポケットにモノが入っているから重くてズボンが下がってくる→ベルトで締めて押さえる→腹が苦しい、ということだったのか(笑)。

ベルトは締めて当たり前だと思ったので、これはなかなかインパクトのある発見。

 

いや、発見というほどのことか?というツッコミは当然あると思うのだが、「当たり前」だと思っていることが、実はあることを前提にしていて、それが取っ払われたら「当たり前」が「当たり前」でなくなるのだな。

そんなこと、まだまだいっぱいあるんじゃなかろうかと、思わず考えてみる。

 

まぁ、ご参考ということで。

 

削ぎ落とす習慣

昔から生活の中での色々な要素を削ぎ落とすブームが定期的にやってくる。

ルーチンで行なっている習慣をやめてみたり、あんまり使っていないサブスク契約を解約したり、あまり着ない服を捨てたり。

 

習慣化するのを癖にしているので、アレもコレもとやっているうちに、ルーチンだけで結構積み上がってしまうのだ。

そうなると、色々苦しくなってくるので、自然と削ぎ落とす、これもルーチンなんだと思うけれど、減らしていく習慣が身に付いているのかもしれない。

 

一番多いのはトレーニングのルーチンなんだけどね(笑)。

次に多いのが仕事上のルーチン。

 

仕事は特に、やらなきゃいけないことをルーチン化しておくと、それほどストレスに感じることなく淡々と終わっていくので、ルーチン化出来るものは極力増やしていく。

それでアウトプットを極大化していくのだけれど、ホワイトカラーの仕事という特性上、ずっと必要であり続けるとは限らない。

 

仕事の方はそういう理由で定期的に見直す、削ぎ落とす習慣が必要になる。

こうやって新陳代謝を作っていく営みが、仕事にも生活にもダイナミズムを産んでいくんじゃなかろうか。

 

スティーブ・ジョブズはあの有名なスピーチで「死は生命最大の発明」と語ったけれども、削ぎ落とすことはとても大事だと思うのである。

まぁ、ご参考ということで。

ワクチン打ちました(モデルナ一回目)

いや〜、時間かかったな、と。

近所の病院とかはカミさんに探してもらい、自衛隊の会場は時々自分で空きを探したり、なんてことをやってたのだが、片手間では全然予約出来ず。

 

結局会社が用意してくれた職域接種に乗っかるしかなく、昨日一回目を打っていただく。

小生もまぁ、ぼちぼち忙しくしてしまうタイプの人間なので、ワクチンを打ちたくてもなかなか難しい、というのが実感なのでした。

 

気軽に立ち寄って一杯引っかける、くらいの感じで打てればねぇ。

定期的にワクチンを打つ世界は当面続きそうだから、いずれそうなるかもしれないけれど…。

 

さて、打ってしばらくはなんともなかったけれど、4時間経過した頃から若干の違和感が…。

「おぉ、これがモデルナアームってやつか!」と興奮。

 

この後どうなるんだろうとドキドキしながら仕事を終えるも、ちょっと痛くなったくらい。

ガッツりサイドレイズで追い込んだ後の筋肉痛の方がキツいかなぁ…。

 

ということで、夜のケトルベルのルーチンもこなして寝る(軽い負荷の日だったこともあり)。

翌日はどうなるのかなぁと思いつつ。

 

今朝目が覚めても、あんまり状況は変わらない。

寝返りも打てないくらい痛い、なんて話も聞いていたのに、カミさんから「普通に打った腕を下にして寝てたよ」と…。

 

大したことはないので朝のトレーニングルーチンをいつも通りこなし、普通に出社しております。

なんかなぁ、なんともないならそれはそれでちょっとつまんないなぁ、なんて(苦笑)。

 

普通に仕事を頑張るだけなのでした。

なんか健康で損した感じ?

 

不謹慎でした…。

まぁ、ご参考ということで。

 

価値を見出す

テーマ続きで積読在庫のこんな本を読む。

 

「障害を考える」という意味では、先日取り上げた「目の見えない人は世界をどう見ているのか」よりも重たい内容とトーンの本。

あの痛ましい相模原の事件を入り口に、著者と障害者との関わりや、障害者を巡る社会運動の歴史などを採り上げながら、タイトルとなったテーマに近づこうとしていく。

 

なるほど、と学んだのは、「障害」と表記するか「障がい」と表記するか、もちろんその他の表記でも良いのだけれど、その表し方を巡る問題。

これについては「目の見えない人は〜」にも記載があったのだが、現在の考え方は、障害とは個人にあるのではなく社会の方にある、とするそうだ。

 

つまり「障害」とは「バリア」として存在するし、だから「バリアフリー」であるべき、ということなんだね。

障害者団体としては、故に「障害は『害』じゃないんだとして『がい』と表記することは、現実に存在するバリアを有耶無耶にしかねないため、あくまでも障害は漢字で表記する」と一貫して主張しているらしい。

 

なるほどそういうことか。

さて、本書では、ある障害者の言葉を終章で引用する。

 

「富士山は所詮土の塊でしかないのに、姿を見てありがたい気持ちになったりするのは、見る側に価値を見出す心の働きがあるから。障害者を社会全体で支えることに意味があるのかと問う人間は、価値を見出すことをしようとしていないだけである」と。

何不自由なく暮らしていても、ある時障害を抱えることになる可能性は誰にでもある。

 

いや、自覚がないだけで、既に何かの障害があるのかもしれないし。

生きていくことは、価値を見出すこと、見出し続けることかもしれないな、と思ったりする。

 

まぁ、ご参考ということで。

 

 

会議のお作法

話を聞いているだけの会議っていうのがあるよね。

座って聞いていればいい、という意味では特に準備もしなくていいし、気は楽。

 

とはいうものの、一応サラリーマンでも金貰っている以上、何か意味のある発言をしなければ、っていう意識はあるよ。

さらに言えば、仮に本当に発言せずに聞いているだけだったとしても、アサインされた以上は聞いた話を持ち帰って「なんとかする」ことが期待されているんだと思うんだよね。

 

「聞いた話をいい感じで整理して展開して、具体的にはなんだかよくわからないけど会社が良くなるように宜しくやっておいて」みたいな。

あれ、空気読み過ぎですか?

 

この辺が日本のサラリーマン道で求められるハイコンテクストなお作法だと思うんです。

なんでこんな会議があるの?なんで私がアサインされてるんでしたっけ?という問いに対して、「その意味はお主自身で見出せ」みたいな、間違った全問答、間違った東洋イメージみたいな。

 

この辺を若い部下に説明するのが難しいんだよなぁ。

経営の中途半端なモヤモヤを具体的なアジェンダ・課題に落とし込む悲哀。

 

あれ、ひょっとして今に始まったことじゃなくて、日本のサラリーマン、中間管理職はずっとこんなことをやってきたのかしら…。

いいんだか悪いんだか。

 

まぁ、ご参考ということで。