人間到る処青山あり

諸々よもやま話(とりあえず)

若者に受け入れられたい

人材の仕事(エージェント)を続けていると、仲間や同業の知り合いが独立していくのをよく見る。

長く見てきて、人材の仕事に関わらず、独立する時のポイントはこの辺なんだろうなと思っていることがある。

 

それは新規の顧客、それも若い顧客を、どうやって開拓していくかだ。

独立する時は大抵、ビジネスの目算や顧客リストに目処をつけてスタートする。

 

しかし、顧客も自分もだんだん歳をとるのだ。

人材ビジネスだとその辺が顕著で、勢いのある採用企業とイキの良いキャンディデイトを抱えて独立するのだが、採用の勢いは数年で(大抵)止まるし、キャンディデイトも転職を重ねてそろそろ落ち着いて、当の本人も少し疲れてくる。

 

そんな感じで、「昔の人脈で食ってます(食ってました)」というオジサン・オバサンが出来上がる。

「独立なんて、まぁそんなもんでしょ」というのも一つの見識ではあるが、小生はそんな感じの人を沢山見てきた。

 

そう思うと、いかに下の世代のキャンディデイトに相談したいと思ってもらえるか、新しい成長企業にも、このエージェントは頼りになりそうだと思ってもらえるか、そういった信用を作れるかが、長く勢いのあるビジネスを作るには大事だなと思っている。

若者に受け入れられたい、なんてタイトルを書いてみたが、別におもねるわけでなく、尊敬される・憧れられる程の存在になるにはどうしたら良いか、というストイックな野望である。

 

こんな本もご参照。

『愛され上司』になる方法

『愛され上司』になる方法

 

色々なテクニック満載で、悩んでいる人には参考になると思うが、個人的には「ちょっとやり過ぎ(笑)」だと思いました。

 

まぁ、ご参考ということで。

良い行いに時間をかけてはいけない

アメリカでは初の女性副大統領、なんていう報道があるけれども、男女の不平等解消であるとか人種差別や各種偏見の是正が進むことはとても良いこと。

そういったことが進み、世の中は良くなっているなと感じる一方、その変化に時間がかかる故に、不遇のまま人生を終えた何世代もの人たちが存在したことに思いをきたすと、いたたまれない気持ちになる。

 

今を生きる人間として、先達から託されたものがあると感じるし、不遇のままの人たちを一人でも減らすために、早く変化を起こさねば、という風にも思う。

ちょっと大きな話にしてしまったが、こんなことは職場でもコミュニティでも家庭でもあるわけで。

 

会社の人事制度運用がいまいちだと、必ず不遇をかこつ人が生まれる。

運用の精度を上げるためには、いかんせん数年「回してみる」ことが必要になったりするのだが、不遇な人からすれば数年は長過ぎて、転職を決意するには余りある時間。

 

会社全体を左右する人事制度だから拙速は禁物なのだが、変化に要する時間を待てずに去っていく人たち、不遇をかこつ人たちが存置されることを考慮すると、あまり時間をかけてはいられないと思うのだ。

社員への人気取りのようにも感じてしまうのだけれど、これだけ自由に転職できる時代だから、社員に求められる組織や制度を早期に作り上げられないと、可能性のある人材からどんどん抜けられてしまう世界になったと思う。

 

まぁ、ご参考ということで。

44歳になりました

この歳で誕生日のエントリーもどうかと思うのだが。

せっかく当日の朝なので、思うところを。

 

とはいうものの、この歳になるとなかなか誕生日に期するところがないのも正直なところ(苦笑)。

仕事はボチボチ、家庭もボチボチ、今度大腸の内視鏡検査を受けることになってしまったが体調もボチボチ。

 

しかし仕事に関していうと、「折り返し地点」を過ぎたと最近明確に意識している。

折り返したばかりだから、まだまだラスト10キロのスパートに余力を残さねばならないのだが、後進の育成含め、「何を残すか」「どのような去り際を作るか」ということを考える。

 

子育ても娘ひとりだから、9歳にもなると大したドタバタはなく、いよいよ手が離れたらどうするかを考えるようにもなった。

年齢を考えれば、住み替えてもあと一回、車も買い替えてもあと二回か?と思うと、「やり残したことはないか」というのを否応なしに考えさせられる。

 

そんなこんなを踏まえると「人生100年時代」などとはいうものの、人生折り返してきたなと思う。

残り短くなってしまったという焦りより、悔いなく前半を終えられたと思えることに、深く幸せを感じている。

 

そういえば没年44歳の人って誰かなぁとなんとなくググる

井伊直弼大塩平八郎…。

 

そうですか、44歳は江戸幕府大老ですか…。

スケールや風格の違いが身につまされるが、まぁ頑張りますわ。

 

こちらは43歳と44歳を跨ぐタイミングで読んだ一冊。

 

短い章を紡いで、世界の考古学の現場にまつわるエピソードを興味深く紹介している。

フリーランスのワーキングスタイルを続けながら、趣味で考古学なんていう生涯現役の晩年もいいかもね。

 

マスター・キートンとかインディ・ジョーンズみたいに。

まぁ、ご参考ということで。

会うと元気になれる人

会って少し話をするだけで元気になれる人、という存在が稀にいる。

小生も心当たりが数人居て、たまにお時間をいただいたりしている。

 

明日、44歳の誕生日を迎えるにあたり、自分もそんな人になりたいなと今更ながら思ったりする。

そういう、会うと元気になれる人というのは、一体どんな人か。

 

・元気が良い(テンションもまぁ高い)

・笑顔

・真剣に話を聞いてくれる

・ジョークのセンスもある

・ポジティブ

・本質をついた意見、アドバイスをしてくれる

 

なんていうことを、彼らのことを思い出しながら、思いつくままに書いてみる。

でも、元気が良い、テンションが高いだけじゃダメで、ひたすら褒めてくれるのも「すわり」が悪くてダメだ。

 

個人的には、笑顔が印象的で、一方で、真剣に話を聞いてくれる時の表情のコントラストがあると、すごく心に残るような気がする。

大学時代の恩師の先生の一人がそうだった(今日大学時代の友人に会うので、思わず思い出したのかもしれないが)。

 

久しぶりにトム・ピーターズの著作を読む。

 

トム・ピーターズのサラリーマン大逆襲作戦シリーズは、もう結構前の本なのだが、読むと元気になれる一冊。

元気があってユーモアのセンスもあり、真剣で本質的な顔も覗かせる。

 

仕事のTips集みたいな本で、ものすごく重要な学びがあるわけでもないのだが、今日から始められる工夫が沢山あるという感じ。

折に触れてまた読み返したくなる。

 

トム・ピーターズも、きっと会うと元気になれる人、なんだろうなぁ。

まぁ、ご参考ということで。

 

まずは答えを立ててみる

仕事の段取りの良し悪しというのはある。

先に期日を決めて工程を逆算するとか、先に勝負プレゼンのアポを取ってから内容を練る、なんていうやり方もある。

 

いずれにせよ、ゴールを決めてから動き出すのは基本的な行動かと思う。

たまたまであるが、こんな本を読む。

 

「ゴール仮説」から始める問題解決アプローチ

「ゴール仮説」から始める問題解決アプローチ

  • 作者:佐渡 誠
  • 発売日: 2018/10/11
  • メディア: 単行本
 

ベテランのコンサルタントによる、タイトル通りの解説本。

 

そういう意味では、仕事のできる人にとって、たいした学びは無い本なのかもしれない。

内田和成氏の「仮説思考」とか、先行ベストセラーもあることだし。

 

とはいうものの、著者が示してくれた「YesかNoか」で答えられるところまで仮説を具体的にする、というアイデアは使えそうだと感じた。

「このサービスは売れるのか?」というのは仮説ではなくて、「この市場にはこういうシーンでこんな行動を取るユーザーが存在するが、このようなユーザーはこういう背景で増え続ける」というのが良い仮説かと思う。

 

ここまで具体的だと、何を調べれば良いのか、どう検証すれば良いのか明白である。

そして間違っていたとしても、何が間違っていたかが明白になるので、修正も効きやすい。

 

上記の仮説は、もはや、ある新規事業における答えに近いのだが、これくらいのレベルから検証を始められると、非常にスピードが早く、効果的だ。

しかし、若干の不安はある。

 

こんなやり方、場数を踏んだベテランだからできるのであって、経験の若い若手や、ただ言われたことをこなしてきただけの人にできるのかな、と。

そこはもう経験の差は致し方ないし、難しいという人を支援するのもあなたの仕事でしょ、と言われればそれまでなのだが。

 

まぁ、ご参考ということで。

組織は戦略たりうるか

「世界標準の経営理論」他の著作で入山先生は、経営理論は経済学、社会心理学、組織論の三つのアプローチに分けられると解説していたと思う。

小生が在籍していたリクルートグループも、採用事業から始まったこともあって、組織論や社会心理学には強いこだわりを感じさせる会社であった。

 

自立・自律した起業家精神旺盛な社員を採用し、権限委譲しながら事業を推進していく。

退職する道も用意して、組織の新陳代謝を促す。

 

最初からそんな組織を作ろうと思えばできるのかもしれないが、出来上がった組織が後から真似するのは極めて難しい、ここまでくると立派な戦略である。

こんな本を読んで、古巣のことをちょっと思い出した。

 

これからはPDCAサイクルではなくOODAループなんだ、的な見出しをどこかで見たのを覚えており、拝読した次第。

 

アメリカ軍で研究されていた電撃戦のメソッドを、企業戦略にも生かしていこうというもの。

OODAの各アルファベットが意味するところはともかく、その本質は組織論にあるようだ。

 

刻々と変化する戦局に臨機応変に対応できる軍隊こそ、数的不利を克服する可能性がある。

そのための組織を鍛えるための方法論がOODAループということだろうか。

 

強い組織を作る、強い組織に変えるというのは、本当に難しい取り組みだと日々実感しているが、だからこそ競争優位となりうるのだろうと思う。

まぁ、ご参考ということで。

人材の評価を妥協してはいけない

人が人を評価するということは、多くの人が理解している通り、非常に難しいことである。

別に「上から」判断を下しているつもりはないとしても、目についたパフォーマンスが瞬間的なものか、永続的なものかはわからないし、好き嫌いのバイアスは必ずついて回る。

 

自分の判断は極めて怪しいと謙虚に感じてしまうと、どんどん人の評価をすることが難しくなってしまい、「みんなよい」か「みんな悪い」あるいは「全部標準的」の極端に振れやすい。

バランスの取れた評価を行うことは難易度が高く、また責任を伴うものなので、だれもができることではないのだ。

 

しかし、そんな難しさを踏まえたとしても、やはり人材の評価については妥協してはいけないと思っている。

特に採用の場面や、人事評価の場面では。

 

採用の場面では、何人もの候補者にあっていく中で、肉体的・精神的に疲労していくし、それぞれ個性のある候補者と面談していくと、「なんだか少し引っかかるんだけど、前職の有名企業でこんな実績もあるらしいから採用しよう」なんていうふうになりがち。

人事評価の場面では、「人間的には幼いところがあって評価は分かれるが、実務ができることは間違いないから昇格させよう」とか。

 

採用関連の仕事を長く務めてきた経験からすると、こういう妥協は良くない。

本当に良くない。

 

本当に優秀な人材というのは、能力も人格も実績も備わった、自分がみじめに感じるほどのものだし(苦笑)、実際にそういう人材は存在するのである。

採用であれば、そういう人材に会えるまで採用活動を続けなければならないし、人事評価においても、安易に課題のある人間を昇格させず、心技体そろった人材が育つのを待たなくてはいけない。

 

出会った人材の数が少ないと、どうしても目の前の人材で何とかしたくなり、次の瞬間には妥協をしてしまうものなのだが、これをやってしまうと組織の成長は逆回転を始めてしまう。

自分自身が人を評価するという行為の「おこがましさ」は、決して拭い去ることはできないのだが、その「おこがましさ」に負けて妥協をしてしまえば、大いなる過ちを犯すことになるのだ。

 

まぁ、ご参考ということで。