人間到る処青山あり

諸々よもやま話(とりあえず)

道具で行動が変わる

はい、この絵である。

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元リンクはこちら。

https://irenekitakami.com/2016/08/15/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%83%94%E3%83%83%E3%82%AF%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%81%AE%E3%83%9C%E3%82%AF%E3%82%B7%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%81%AF%E7%B4%A0%E6%89%8B%E3%81%A7%E6%88%A6%E3%81%86/

 

何の絵かといえば、古代ギリシアで行われていたボクシングを描いたもの。

今のボクシングとだいぶ雰囲気が違うのではなかろうか。

 

左手で探りを入れつつ、右手で思い切りブン殴る、みたいな。

これは、古代の技術が未発達だったわけではなく、グローブが違うからだと小生は理解している。

 

当時のグローブは指の骨折を防ぎつつ、当たるとダメージが大きくなるようなもの。

そんなもので殴られては堪らないので、距離を取りながら一発で決めにいく、そんな勝負だったのではないかと想像する。

 

今のボクシングのグローブは、付けたことがある人ならすぐわかるが、まあまあサイズがあるので、ガードを上がればそれなりに急所をカバーすることができる。

一方で、その隙間を大きなグローブで掻い潜って当てに行くのは、素手に比べて難易度が高い。

 

そうなると、ガードを固めながら前傾姿勢で突っ込んでいき、コンビネーションで打ち崩していく現代のスタイルに合理性があるのだと思う。

たかがグローブで、別の競技と言えるくらい行動が変わる。

 

新しい道具というのは、人々の行動様式や習慣、美意識を極端に変えるほどの力を持っている。

それくらい受け入れられ、行動変容させるツール、サービスを作ることができたら、新規事業開発の人間として、とても楽しいんだろうなぁ、などと、スマホを眺める人だらけの電車に乗りながら思うのであった(ボクシング関係なかったw)。

 

まぁ、ご参考ということで。

 

サラリーマンでどこを目指すの?

今日はおもしろいまとめがあったのでそのリンクから。

 
問題は後半のあたり。
メガバンクでも執行役員級で年収2000万円くらいだよね、という話。
 
メガバンクにいた人間の感覚としても、大きなズレは無いと思う(足抜けして久しいので怪しいが)。
「いやいや、2000万円貰えれば凄いじゃん」というのはその通り。
 
実際、小生がサラリーマン続けても2000万円は行かないと思う。
いや、諦めた訳じゃないけど(笑)、理由は後述する。
 
でも、多くの人が知らないのが、2000万円が何年貰えるの、という話。
50歳で執行役員で、その先で取締役になれなければ役職定年55歳までの5年。
 
手取りは1200万円くらいだから、それが5年続いたってアーリーリタイヤもできない。
役職定年でどかっと年収が落ちるわけではないが、安定したポストが約束されているわけでもない。
 
そして、執行役員より上というのは、数百人の同期がいる中で、1人か2人。
運の要素は大きいけれど、運を支配するだけの努力もまた必要で、それを30年近く続けるんです。
 
仕事を中心に、生活も性格も変わっていく人生。
そういう人生が実は楽しくて、時に家族だったり自分の健康すら犠牲にしてしまうことがある、そういう人のポストだと、小生は理解している。
 
裏を返すと、年収2000万円が目標だったら絶対に割りに合わなくて、金を稼ぐだけならもっといい方法がいくらでもあるのだ。
サラリーマンとは、会社組織ならではの仕事、経験、仲間を求め、結果として年収が困らない程度についてくる、多くの人にとって、そういうものだと捉えている。
 
サラリーマンという生き方そのもの、今の会社の仕事にどこまでドップリハマれるか、その問いに、どんな距離感で向き合っていくか。
遠巻きに眺めるだけでは「上」はないけれど、果敢に突っ込んでいくだけが全てじゃない。
 
こういうこと、キャリア教育ではなかなか教えてもらえないんだよね。
まぁ、ご参考ということで。
 
 
 
 
 

鏡を見るように

仕事関係のメールで、件名が「ご無沙汰させていただいております」というものが回ってきた。

これはいただけない。

 

「させていただく」が既に二重敬語なのに、「ご無沙汰」にくっつけてきた。

沙汰が無い状態というのは、結果的にそうなるか、こちらの不義理でなってしまうものであって、意思を持って「させていただいて」いるんだとしたら逆に無礼だと思う。

 

あえてへり下るなら「ご無沙汰しており申し訳ありません」だろうけど、それも「本来ならばもっと頻繁にご挨拶するべきところ」という前提が共有されていて初めて成り立つ表現。

それはともかく。

 

そんな変な敬語を使う相手だったとしても、普通に商談はするし、ビジネスで許される範囲で冗談も言ったり、普通に接するのだけれど、ちょっと思う。

「この人は、こんな些細なことも注意してくれる人が、周りにいないのかな」「変な敬語を使っていることに、自分で気付かないのかな」と。

 

小生が上司なら、多分指摘はする。

小生はそれほど気にしないけど、「こんな日本語しか出来ない奴を雇う会社と取引して大丈夫か」と思う人は必ず居るから。

 

そして、指摘されないというのは、彼・彼女の会社を含む環境がそのレベルでしかない可能性と、彼・彼女の人間性に問題があって、誰も指摘をしない可能性とを想起させる。

会社の信用だけでなく、本人にとって非常にかわいそうな状況だと思う。

 

また、本来ならば大人なんだから、上司や周囲の責任ではなく、一義的には本人の責任であるという自覚を促したいところ。

自分の日本語が変でお客様に不信感を持たせていないか、定期的に確認をしたっていいのだ。

 

そう、鏡を見て、鼻毛が出てないか確認するように(※別に鼻毛じゃなくてもいいのだが、尊敬する先輩の例え話から引用させていただいた https://note.com/sowa/n/n17add9f410d6)。

「あー鼻毛出ちゃってる。この人残念だなー」とならないようにしたいものである。

 

まぁ、ご参考ということで。

 

 

「パワークエスチョン」 読了 〜正しい問いは答えより有用〜

リンクを貼る。

 

やはりこれもKindle日替りセールだったろうか。

コンサルティングやマネジメントの仕事をしていると、正しい問いを発することの重要性を嫌というほど思い知らされる。

 

ビジネスにおける難解な局面は、解決すべき問題が何なのかが分からなくなっている場合が多い。

その時に「解決すべき問題は何か?」「解決しないとどうなるのか?」「誰がその問題に当たるべきか?」といったことを問うことは、非常に大事である。

 

解決すべき問題の難易度が一見高そうでも、細分化したり突き詰めていけば、大抵糸口が見えてくるもの。

なので、大事なのは答えではなく問いの方なのである。

 

さて、本書は長年にわたりコンサルタントとして活躍してきた著者が、有益な問いを立てることでビジネスの課題を解決できた事例・エピソードを紹介しつつ、読者にその有用性やバリエーションを伝授するというもの。

問いそのものに特別凄いものはないのだが、エピソードは読み物としてなかなか魅力のある内容だと感じた。

 

「自分の死亡記事が出るとすれば、どんな風に書かれたいか?」

「あと3年で死んでしまうとしたら、なにをするか?」

 

ね、ほんと大事なんですけど、なかなか…。

まぁ、ご参考ということで。

 

 

惜しい!

どういうわけか、サングラスにはこだわりがある。

人に言われないと気づかないほど、自分の中では長く付き合ってきた、こだわり。

 

先日、エクスペンダブルズ(映画)を観ていて、

エクスペンダブルズ (吹替版)

エクスペンダブルズ (吹替版)

  • 発売日: 2013/11/26
  • メディア: Prime Video
 

やっぱりレイバンのアビエーターはカッコイイなと思ったのである。

 

まぁしかし、これをアジア人の骨格で掛けると、なかなか俗悪な感じがするのだが、そんなことは気にしない。

欲しいものは欲しいのだ。

 

で、レイバンの公式ECサイトを訪れる。

japan.ray-ban.com

 

レイバンは数年前、スパムが大流行したので、「本当に大丈夫なのか」とドキドキしながらページを見ていると、なんとオーダーが出来るというではないか。

世の中にもっと高いサングラスはいくらもあるが、レイバンのアビエーターだって別に安いわけではない。

 

店頭のセール品を捕まえれば、一万円くらいで買えるのだが、「ありもの」を妥協して買ってしまえば、結局「安物買いの銭失い」になりかねないので、妥協しないことを心に決め、公式サイトでオーダーにチャレンジすることに。

結局6000円〜7000円くらい高くなるのだが、レンズのサイズだったりデザインだったり、100%納得できる買い物ができたので、非常に良い購買体験だった。

 

「おぉ、なるほどアビエーターってこんな感じなのか」と味わいながら、ガラの悪い風体で日常を過ごしているのである。

と、ここまでは良かった。

 

その後、レイバンから毎日のように「またオーダーしませんか?」メールが届くのである。

これは良くない。

 

いくらなんでもサングラスを毎日は買わない。

たとえ100円だったとしても買わないのに、お構いなしにメール攻撃。

 

これは顧客とのエンゲージメントにおいて、非常に「惜しい!」と言わざるを得ない。

「季節の新作」くらいのサイクルで提示されれば、ちょっとぐらついたかもしれない(でも買って4本までだ)。

 

クリスマスとか誕生日にとことん攻められたら、年に1本は買っていたかもしれない。

サングラスってそういうものだろう。

 

このご時世なんだから、例えば「サングラスを掛けている写真をインスタに投稿しませんか?」みたいな形で、買ったお客さん以外の購買意欲を掻き立てるやり方だってある。

購入したものとは別のモデルを使ったカッコイイ投稿をセレクトして、ぐらつかせるやり方だってある。

 

毎日メール送ったって、絶対買わないんだから、色々考えて仕掛けてみればいいのになと、返す返す「惜しい!」と思う次第。

とか言って、知り合いが関わっていたりする可能性もゼロではないのだが(苦笑)。

 

まぁ、ご参考ということで。

 

楽しむべし

仕事でもプライベートでも、不機嫌な感じの人がいる。

不機嫌な人がいれば、その場を共有する多くの人が不快な思いをするのに、お構いなし。

 

そういう人を批判したいわけではない。

そんなに不機嫌だったら、周りの人間を不快にするけれど、なによりあなたが楽しくないだろう、と思う。

 

そして、そういう人は、誰かに自分の機嫌を良くしてもらおうと期待しているのだろうかと、疑問に感じてしまうのだ。

どこの誰が、なんの義理で、あなたのご機嫌を取るというのか?

 

なにか自分が楽しくなるような機会を、外に求めているのだとすれば、大きな考え違いだと思う。

そんな機会を待っていても、きっと永遠に訪れることはない。

 

自分の機嫌は自分で取る。

苦しいだけが人生じゃなく、自分自身で楽しむべし。

 

その態度無くして、楽しい日々は無い。

まぁ、ご参考ということで。

 

 

 

使い放題の誘惑

最近通信キャリアをmineoに変えた。

妻と揃えたかったのと、ちょっと面白そうなサービス開発をしていたので、どうしてもMNP をする必要性に迫られていたわけではないのだが、変更してみたのである。

 

mineoのオプションの中に、速度は500kbpsに落ちるものの、月額350円でパケット使い放題というものがある。

500kbpsにピンとこない人が多いと思うが、お店なんかの公衆無線LANを掴むとよくあるレベルの速度、「ちょっと遅いな」くらい。

 

これはちょっと試してみるべし、ということで申し込んだのだが、これは悪くない。

音楽ストリーミングは全く問題ない。

 

YouTubeもちょっと粗いし少し待つが十分見られる。

Amazonプライム・ビデオは待ち時間や停止する時もあるが、調子が良いとスムーズに見られる(画質は落としてあるがスマホの画面では違いはわからない)。

 

毎月、ギガを使い切ることが殆どない慎重派なので、計画的に消費していけば速度制限など恐るるに足らずなのだが、その「計画的」という動作が不要というのが堪らなく快適である。

Wi-Fiもオフにして死んでいる野良Wi-Fiをつかんでイライラすることもなく、アプリでオプションのオンオフが簡単にできるので、必要な時だけ通常速度に戻せば良い。

 

そのうち「やっぱり遅い!」となるのかもしれないが、しばらく使ってみようと思わせるだけの魅力が、使い放題にはある。

昔読んだ新規事業開発の指南本にも、使い放題のモデルを取り入れてみるというアイデアはあったので、誰もが一度はチャレンジすべきテーマなのかも。

 

このオプションが果たして事業として利益を生んでいるのかはわからない。

しかし、金払って速度を落とすなんていう常識の逆を行きながら、ユーザーを虜にしているのなら、なかなか痛快ではないか。

 

まぁ、ご参考ということで。