人間到る処青山あり

諸々よもやま話(とりあえず)

手柄をもって出世させて良いのか。

「功ある者には禄を与えよ、徳ある者には地位を与えよ」という言葉がある。

こちらの記事によると、中国の古典「書経」ということらしい。

 

https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/47762

成果を挙げた人間は報酬で報い、人格の優れた人間にポジションを、という理解でよかろう。

 

はじめてこの言葉に触れた若い頃は、「徳ある者には地位を」というくだりに、名言・至言としては理解できるものの、①成果を挙げた人間に組織を担わせたほうが組織としての成果向上の蓋然性は高いのではないか、②成果を挙げた人間を出世させなければ組織構成員の納得感は出ないのではないか、という理由から、ちょっと「綺麗事」だろうと思っていた。

しかし、それなりに社会人経験を積んだ今となっては、徳のない人間にポジションを与えるリスクは、①の「成果向上の蓋然性」とは比較にならないくらい大きいんじゃないか、と考えるに至っている。

 

そもそも、ポジションを上げることで役割を変えるのだから、その人間のパフォーマンス自体は落ちる(成果を挙げた役割がベストだとすれば)。

成功のノウハウを組織に展開しようにも、属人性や陳腐化は免れないので、この時点で「成果向上の蓋然性」が若干疑わしい。

 

一方で、ポジションを上げるというのは、その組織での影響範囲を広げるということだから、人格に問題がある人間の影響範囲を広げることは、組織全体にとっての害悪でしかない。

また、組織内で高い地位にある人間というのは、次世代のリーダーやメンバーを育てる役割も担うはずなので、それはやはり徳のない人間には厳しいと思う。

 

そういう人間には、「功ある者には禄を与えよ、徳ある者には地位を与えよ」という言葉の通り、報酬で報いれば良いのである。

蓋し名言。

 

しかし課題は残る。

前述の②「組織構成員の納得感」である。

 

成果がそれほどでもなく、徳のある人間に地位を与えて良いのか、というのはなかなかの難問である。

まず、本当に「徳がある」かどうかを、どうやって見極めるのか。

 

その人間に地位を与えたとして、徳によって組織に一体感が生まれるのに相応の時間がかかるはずだが、それを待てるのか。

地位を与えた人間が現場の抵抗にあわないようなサポート・仕組みは用意できるのか。

 

逆に、成果を挙げた人間から地位を与えざるを得ない場合に、徳を磨けるような支援はできるのか。

やはり徳が無いとなった際に、その地位から速やかに引きずり下ろせるのか。

 

パッと思いつくだけでも、これだけの疑問が湧くわけだが、この辺はちょっと、小生自身も引き続き考えていきたい。

まぁ、ご参考ということで。