リンクを張る。
ソーシャルで友人が推奨していたのを見て、自分もと思いポチった一冊。
結論から言えば、抜群に面白かった。
小生も金融の世界に身を置いた人間として、彼の仕掛けは身近に感じたところである。
一番ビックリだったのは、彼の生い立ち。
台湾系の御尊父が投資家であり、投資家としての英才教育を受けて育ち、通産官僚になったのも日本経済全体を見渡せる立場を経験するのが良いという、投資家になるための手段のような位置づけのようだ。
なので、「通産官僚を辞めてファンドマネージャーになった異質の人物」という一般的な人物評とはかなり違う印象。
小学三年生の時に、ご尊父から大学入学までのお小遣いの前払いということで、100万円の現金を渡され、「それで投資をせよ」と言われたそうだから、筋金入りである。
彼個人の主張をどこまで信じるのか、という客観性は脇におくとして、通産官僚として日本の上場会社の資本政策やコーポレート・ガバナンスのあり方に疑問を感じ、まずは組織再編のコンサルティングを、ということで独立する。
その後はご承知の通り、ファンドマネージャーとして数多くの上場企業に「物言う株主」として戦いを挑んでいく。
村上氏がどのような考えで株を買い集め、経営者に提言をしてきたのか、については、金融畑の人間からすれば、極めてまっとうな主張だと感じるだろう。
むしろ当時のマスコミの報道姿勢こそ疑問であり、彼と対峙した経営陣のスタンスこそ問題とされるはずだ。
しかし、その「正論」がなぜ受けられず、何故あのような叩かれ方をしてしまったのか?
本人も述懐しているが、彼のコミュニケーションスタイルに問題はあったのかもしれない。
ただ、個人的に考えるのは、あれだけ感情的な対立を呼び起こしたのは、経営陣が恐怖したからではないかと思う。
正論をぶつけられて恐怖するのは、やらなきゃいけないとわかっているけどやっていない、「やましい」人だ。
「やましい」人に、「できてない!」という指摘をするのは、多分感情を逆撫でするだけなのかもしれないなと、思わず小生自身のコミュニケーションスタイルを振り返ったりするのである。
どっちが悪いかといえば、やらなきゃいけないことをやってない人達なのだけれど、悪い人に「悪い」と刺しにいっても、感情的な会話にしかならないというところだろうか。
それにしても、村上氏の存在があったからこそ、(まだまだ酷いが)日本のコーポレート・ガバナンスは前に進んだのかもしれないと思うと、もっと彼の功績は評価されるべきなのではないか。
自分の信念に従い、あえて嫌われ役を務め、日本の社会を前に進めたという意味では、16年間の公僕としての精神が、その果敢な行動を裏打ちしていたのかもしれない。
最後に、なぜこの本を書いたのか、という告白があるけれども、これはまた痛々しく切実な話で、日本のメディアの報道姿勢を最後に批判することにもつながっている。
我々がイメージする村上氏の人物像と、全く違う姿が垣間見え、とても面白い一冊であった。
まぁ、ご参考ということで。