人間到る処青山あり

諸々よもやま話(とりあえず)

なぜ、毎日の「素振り」が必要なのか?

素振りは基本の練習だから大事だ、という人もいる。

大事な練習だから基本というのだよ、という人もいるのだけれど。

 

武道を軸に人生を切り開いている立場からすると、大事な理由は二つあると思っている。

一つは、人間はロボットではないので、一度身につけた技術は常にトレーニングしておかないと、出来なくなってしまうから。

 

もう一つは、身につけた技術は、実戦(実践)の中で“崩される”ので、正しい型に戻しておく必要があるから。

野球のバッティングを例にしよう。

 

小生は野球はやらないけど、バッティングフォームのトレーニング自体は、正確に、速く、強く、なおかつコントローラブルにバットを振る技術を習得するものだと思う。

日々の素振りや、それ以外の練習も、その技術を追求するために存在するはずだ。

 

正確なフォームを作るトレーニングは、基本的に同じフォームを丁寧に積み重ねていくしかない。

しかし、いざ実戦になると、ピッチャーはバッターに打たせないような球をひたすら投げてくる。

 

レーニングでは有り得ない球筋、リズム、その他、素人ではわからない「ありとあらゆる手」を使って、トレーニングとは違う攻め方をしてくる。

バッターは、そのトレーニングと明らかに違う状況に、培った技術を用いて、柔軟に対応させていくことになる。

 

正確なフォームがあるからこそ、変化のある相手の攻撃に対応することができるのだけれど、変化のある状況ばかりに対応しすぎてしまうと、正確なフォームが崩れて、どんどん打てなくなってしまうのだと思う(実戦に出るということは、練習と同じことをしない状況に身を置くことでもある)。

これが、正しい型に戻しておく必要がある、ということである。

 

これはなにも、スポーツや武道に限る話ではない。

ビジネスの場面というのは、常に実戦であり、イレギュラーの連続である。

 

それが当たり前になりすぎてしまうと、本筋・王道や「べき論」がないがしろになってしまい、方向を間違えたり、非効率な進め方になってしまう。

日本人の社会人教育が弱いといわれて久しいが、学問の場というのは、未踏領域に挑むような