人間到る処青山あり

諸々よもやま話(とりあえず)

「だけど」がつかない人

先日、某メガベンチャーにお邪魔したときのこと。

採用の話ではなかったのだが、出て来られる皆さんの優秀なこと。

 

さすが良い採用をされているなぁと感心した次第。

駆け出しの人材エージェントだった頃、ベテランの先輩が、「心技体が揃った人材」という表現をキャンディデートにしていたのを聞いて、「なるほど、そんな人、居るよなぁ」と思ったことがある。

 

その後、何年も経験を重ねて思ったけれど、「心技体が揃った人材」というのは、優秀な人に会う努力をしていても、だいたい百人に一人くらいのイメージ。

そういう人に出会えたら、何が何でもご縁を作る努力はするけれど、百人に一人だと、エージェントとしての商売は成り立たない。

 

そうなると、大変失礼な言い方だが、「心技体が揃った人材」とは必ずしも言えない人ともお付き合いを広げていく。

例えば、「心技は素晴らしいの『だけど』体がちょっと…」みたいな感じ。

 

当たり前だけれど、百人に一人なんだから、小生も全く心技体揃ってないし、ほとんどの人が揃っていないのだから、それは当たり前なのだ。

更に言えば、心技体が揃う状態というのは、いわば「旬」の要素もあり、運やタイミングに左右されるところも大きい。

 

なので、「心技体が揃った人材」が問答無用で素晴らしいと言いたい訳ではない。

言いたいのは、圧倒的多数の「だけど」がつく人と仕事をするのはとても大事なのだが、それが当たり前になり過ぎると、なんとなく仕事で目指すクオリティが落ちてしまうような気がするということ。

 

エージェントであれば、その人材を動かすことそのものが仕事だから、例え百人に一人でも、「心技体が揃った人材」に会い続ける努力を惜しんではいけないが、エージェントではない仕事をしている今も、それを感じるのである。

仕事のやり取りを重ねていく中で、「まあここは良いん『だけど』、ちょっとここがなぁ」というようなシチュエーションは、常に発生する。

 

そこをなんとなくやり過ごすのが良い仕事、みたいになりがちなのだが、やっぱり妥協してはいけなくて、「心技体が揃った仕事」、「だけど」がつかない仕事をしなければ、プロの仕事は簡単にダメになってしまうのだと思う。

「ダメなものはダメ」って言うことだから、色々表現は工夫しなきゃいけないんだけどね。

 

「だけど」がつかない人。

「だけど」がつかない仕事。

 

まぁ、ご参考ということで。