人間到る処青山あり

諸々よもやま話(とりあえず)

「受け身」の稽古がある組織

今、たまたま読み進めている本から、ふと気付いた話を書きたい。

イノベーションが起こる組織というのは、それだけチャレンジもし、イコール失敗も沢山している組織である、ということかと思う。

 

それはイノベーティブな組織も、イノベーティブじゃない組織も、みんなわかっていると思う。

それで、イノベーティブな組織は、なんでそれがわかっていても、失敗が出来ないのか?

 

「失敗が出来ないのは、失敗を許容しない風土があるからだ」という説明を聞いたこともあるけれど、風土や空気のせいにしてしまっては、なかなか事態は変わっていかないんじゃないだろうか。

それで、「ふと気付いた」というのが小生が関わっている合気道の話。

 

合気道は試合こそないものの、投げたら投げられたり、関節技を極めたり決められたりを繰り返し稽古する武術。

当然命のやり取りを前提とした、戦いの技術であるのだが、入門して最初に学び、以降、稽古前の準備運動でも必ず行うのが受け身である(小生は上手いのでサボるけど(笑))。

 

受け身というのは、相手に投げられても怪我なく倒れ、素早く立ち上がるための技術だけれど、敢えてそれを稽古する意味を考えたい。

知らない人のために説明しておくと、傍目には「綺麗に転んでそのまま起き上がる練習」みたいに見えると思う。

 

怪我をしなければ、稽古を続けられるので、継続的な上達が見込める。

受け身の稽古を重ねることで、身体が衝撃に耐えられるようになり、丈夫になる。

 

受け身が上手くなれば、技を掛ける方も思い切り掛けられるようになり、流派全体としてレベルの底上げが図られる。

ほら、ここまで書いたら、受け身の稽古って「失敗の練習」みたいじゃないだろうか?

 

風土の問題だけでなく、受け身の稽古のような仕組みを、組織として持っているか、その辺りが大事なのではないか?

グーグルの「20%ルール」だって、わざわざリソースを割いて失敗する練習、受け身の稽古の時間だと思えば、武術家としては腹落ちしてしまうのである(受け身だけじゃ新しいことは生まれないので、受け身で作られた身体を前提にしたチャレンジというのが正しいかもしれない)。

 

失敗を前提にトライアルをする、限られた予算の中で自由に失敗する、狙いや目的を持って失敗する、そんな仕組みを持てるかどうか。

失敗に対して寛容になれ、というだけでなく、転んでもタダでは起きない為に、「綺麗に転ぶ」練習を狙って行うのである。

 

合気道や柔道に携わる人なら、受け身の稽古のない稽古はありえないんじゃないかと思う。

そういう仕組みを、組織の中に取り入れられれば、イノベーションは生まれてくるのかもしれない。

 

ただの思い付きだけど。

まぁ、ご参考ということで。