人間到る処青山あり

諸々よもやま話(とりあえず)

何故、来るとわかっている脅威から逃れられないのか?

当時、幼稚園年長の娘とチャンバラしたときのこと。

小生は普通の父親ではないので、柳生宗矩だったか誰だかの逸話(師匠の聞きかじり)を引用し、「柳生のお面を見せてしんぜよう」と言いながら上段に構え、娘の頭をパカパカ叩くのである(得物は空気で膨らませたビニールのバットである)。

 

面が来るのがわかっているのに、娘は避けられない。

さぁ父親を攻撃しようと思った隙に、頭を綺麗にはたかれる。

 

攻撃しようと思っていなくても、はたかれる。

10回勝負して10回勝てる。

 

「面しか打たない」と父親が宣言しているのに、何故娘は勝てないのか?

剣(バット)は一人一本なので、攻撃か防御にしか使えない。

 

父親から攻撃されるとすれば、防御するか、相打ち覚悟で攻撃するか。

本当は第三の道があって、体で面を避けながら打ち込むというものだが、それは相打ち覚悟のその先にしか無く、非常に難易度が高い。

 

防御か攻撃か、という迷い。

そしてひょっとしたら「面」じゃない攻撃もあるかもしれないという猜疑心も加わり、どうしていいかわからなくなる。

 

父親は、チャンスを見計らってただ面を打つだけ(フェイントはしない)。

娘に先に当てられないように注意しながら、冷静に当てに行くので、極めて簡単。

 

かくして、やられながらキャーキャー喜ぶくらい、面白いように、はたかれるのである。

もはや、はたかれに来ているようにしか思えない。

 

さて、「面を打って勝つ」という敵の戦略は明白で、その脅威は差し迫っている。

しかし、それに対する手立ては、防御か相打ち覚悟の攻撃だけ。

 

本当は相打ちの先に、一人勝ちのチャンスがあるのだが、失敗して相打ちになるリスクもある。

企業の競争戦略でも、そんなジレンマは良くあるのではないだろうか。

 

実は選択肢としては、相打ち覚悟でその先の一人勝ちを狙う、の一択なのだが、相打ちの恐怖からそれが出来ず、限られたリソースを防御に回してしまう。

しかしそれはまだマシな方で、ほとんどは、どうしていいかわからなくなり、ウチの娘よろしく、なすすべなく負けてしまうのである。

 

明確な戦略を持たないということが、いかに弱く、失敗の恐怖がさらに判断を過つか、ということを物語っていると思う。

娘をはたきながら、そんなことを深く考えさせられるのである。

 

まぁ、ご参考ということで。