人間到る処青山あり

諸々よもやま話(とりあえず)

イメージで語っていないか

先日読んだビジネス書に、「〇〇は合気道のように」というくだりがあって、小生は「またか」と辟易したのである。

合気道はお歴々の先生方が、割と自由に教えてきた経緯もあって、「まちまち」なイメージが流通しがちである。

 

その本も「開祖はそんなこと一言も言ってないでしょ」という理解で語られていた。

ちゃんと普及活動をしていない我々の責任でもあるのだが、そもそも本の著者は合気道をやったことがあるんですかね、という話である。

 

スポーツや娯楽であれば、やったことがなくても、観戦者やファンの視点というのはあり得るが、合気道は競技ではないので、基本的には「やる人」「やったことがある人」と、それ以外しか存在し得ない。

しかしまぁ、有名ビジネススクールの講師がそんなことを書いてしまうと、個人的にはそれ以外の内容の信頼性も失われてしまうので、大変残念である。

 

ところで、新規事業のアイデアを討議する中で、そこそこの確率で「日本文化をなんたらかんたら」というのが出てくる。

保存だったり再定義だったり、インバウンド向けだったりと色々だが、残念ながら、それを言い出す方たちで、実際に「日本文化」に関わる活動をしてきた割合は、かなり少ない。

 

皆さんイメージで語っているのである。

当然、そういうアイデアは、「なにを解決するか」も「なにを武器にするのか」も「なぜやるのか」も「なにがゴールなのか」も全部曖昧なので、極めて弱い。

 

リクルートグループなんかで言われる、「不の手触り」が無いのである。

「不の手触り」が無いアイデアは、何時間議論しても、どんなフレームワークやツールを使っても、決して深まらない。

 

では、どうするか?

その「不」を抱えているであろう人、その周辺の人達に話を聞きに行き、「同じ風呂に入る(彼の靴を履く、ともいう)」のである。

 

話を聞き、深いところから共感し、「不」を「自分事」として語れるようになった時、初めて「不の手触り」が出てくるのだ。

 

そこを起点にして、解決策や市場分析、仲間作りを行っていく。

いずれにしても、イメージで語っているうちは、全く進展しないと言っておこう。

 

それにしても、合気道のイメージがなぁ…。

まぁ、ご参考ということで。