人間到る処青山あり

諸々よもやま話(とりあえず)

潰すか、残すか

新規事業、イノベーション、なんてテーマに毎日取り組んでいることもあり、興味があって、富士フイルムコダックについて調べている。

もちろん論点は、富士フイルムは何故フイルム事業から撤退して生き延び、コダックは撤退出来ずに消滅したのか、ということ。

 

富士フイルムが何故撤退出来たのかでいうと、これはあまり語られることは無いのだが、撤退の意志決定をした2008年時点で、フイルム事業の売上構成比が20パーセントを切っていた、というのは大きいと思う。

デジカメの売上と合算で20パーセント未満だから、フイルム単体では10パーセント無かったかもしれないし、その売上も前年対比マイナス42パーセントだから、撤退の決断も、理解出来るというもの(とはいえ、創業事業からの撤退が簡単だったと言うつもりはない)。

 

逆に、何故そこまで売上構成比が低かったかというと、絶対王者コダックを前に、多角化せざるを得なかった歴史があるようだ(最終的にはフイルム事業でも勝つのだが)。

一方のコダックだが、売上に占めるフイルム事業の比率は、調べても出てこない。

 

経営学者の加護野先生によると、アメリカの企業というのは、株主の投資の道具という考え方があり、多角化を基本的に是としないそうである。

http://president.jp/articles/-/5806?display=b

 

多角化は株主の投資ポートフォリオで行うという考えだろうか。

で、あるならば、コダックのフイルム事業の売上構成比は相応に高く、撤退すれば会社そのものが消滅するから、撤退出来なかったのかもしれない。

 

いや、消滅することそのものが、撤退の意志決定であり、延命のための多角化は敢えて行わなかった、ということかもしれない。

そういう意味では、多角化は企業が生き延びる為の戦略として有効であるということだろうが、潔く潰して別の形で再出発するというのも、考え方としてはあるわけで、少なくともアメリカの投資家目線では、潰した方が正解なのだろう。

 

日本はウェットで、なんとか延命を図りたがり、それはそれで苦しかったりするし、アメリカはドライで、バンバン潰してしまい、失うものも多かったり。

難しい判断だが、正解は中庸にあるのだろうか?

 

まぁ、ご参考ということで。