人間到る処青山あり

諸々よもやま話(とりあえず)

動機善なりや?

「動機善なりや、私心なかりしか」というのは、かの稲盛和夫の言葉のようである(元があるのかもしれない)。

個人的に稲盛イズムがどうかと言われれば、どちらかというとネガティブなのだが、最近あちこちの場面で、その志が善であるかどうか、ということを問われることが多くなってきた。

 

別に時代の変遷というわけでもなく、不確実な時代に、あえて不確実な新規事業を起こす、ということに取り組んでいるから、そういったことが重要な場面に遭遇しているのだと思う。

仕事というのは、特に大きな組織での仕事というのは、自分でなくても誰かが代わりにやってくれるものだし、新規事業に至っては、無理に取り組まなくても、(とりあえずは)困るようなことはない業務である。

 

そんな背景の中で、あえて真剣に事を為そうとした時には、その行いは自分一人で完結するものではなく、多くのステークホルダーを巻き込んで行く形になる。

そこで、事を為す動機が、自己満足や目先の利益に囚われたものであると、ステークホルダーはバカバカしくてついていかない。

 

そんな実利的な背景もある一方、これだけ豊かな、需要が満たされた、ある意味行き詰まった社会の中で、何かに取り組んでいくためには、社会的な意義がないと、真剣に向き合えないという、成熟社会ならではの事情もあると思う。

そんな様な事情から、今後何かに取り組む際には、社会的意義、動機の善であるかどうか、当事者の熱意、そんなようなところが、増々問われるのではないかと考えている。

 

まぁ、ご参考ということで。