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人間到る処青山あり

諸々よもやま話(とりあえず)

あんまり遠慮はいらないんじゃないかと思う

若かりし頃の忘れられない思い出を一つ。
ある時、合気道のお偉いさんと、その他大勢の一角として、宴席を共にする機会があった。

「お偉いさん」といっても、内弟子も抱えて、そりゃもう業界の人なら間違いなく「偉い」という人。
とはいえ、自分の師匠とその「お偉いさん」は関係が深く、なんとなく心理的な距離は近かったこともあったりして。

宴席の途中、用を足しに中座した時の事。
お手洗いに入ろうとすると、入り口で内弟子が立っていて、遠慮せよと言うのだ。

中で「お偉いさん」が用を足していて、横にも後ろにも、空いているスペースはあるわけだが、まかりならんというわけだ。
物心ついたときにはアナーキーだった小生からすると、衝撃の出来事であった。

同じ人間で、身分制も何もない社会のはずなのに、便所すら入れさせてくれないとは…。
悔しいとか、腹が立つとか、そんな気持ちは全くなかったのだが、そのとき小生が思ったのは、「人間というのは、権威を否定しながらも、自らそれを作り出す生き物なのだ」ということ。

というのも、その「お偉いさん」は、全然偉ぶるような人ではなくて、むしろ腰が低くて人間のできた方なのだが、まぁ、周りが低く置かないわけである。
気が付いたら、いろいろな方々の「ご配慮」で、遠く手の届かない存在になり、面と向かって会話することすらままならない存在になってしまう。

思えばこんなような話は、ビジネスのシーンでも良くあるような気がして、それなりに仕事の経験がある人なら、思い当たる節はいくつもあるに違いない。
もちろん基本的には、「偉い人」は「偉い人」として扱わなければ、大変なことになるわけだが、大した意図もなく、「ご配慮」や「遠慮」で、気が付いたら率直な物言いが憚られるようになってしまう状況は、たくさんあるのではないか。

そんな状況はとても息苦しいし、下々の人間の遠慮で、正しい情報が耳に入らないことのほうが、現実的には「偉い人」にとって大変な不利益になるわけで。
なので、「多少図々しいくらいだけれど、正しいと信じることは率直に言う」くらいで、何事もちょうどいいのではないかと思っている。

よい子はマネしなくてもいいです。
まぁ、ご参考ということで。