人間到る処青山あり

諸々よもやま話(とりあえず)

問題は問題として認識しない限り問題とならない

これは小生の合気道の師匠による言葉である。
企業経営上もキャリア形成上も、ある日突然「さて問題です」と湧き出てくるわけではない(湧き出てくるとすれば、それは「事故」と言われるような話だろう)。

昔所属していた小さな会社が、経営危機に陥ったとき、それはそれは大変な事態だったが(実際数年後に破たんした)、経営危機になる瞬間というのが訪れるわけではなかった。
当時を振り返ると、1年~2年くらい前から「危機の萌芽」が存在していたのだ。

具体的に何を、という話をするのは差し控えるが、「悪いこと」が起きているのではなく、「良くないこと」が続いている、という状態だ。
「これってホントはよくないんだけど、まぁ仕方ないよね~」みたいな話が、なんとなくやり過ごされていくのだ。

働く人間のモラルの問題もあるし、ちょっとしたコンプライアンスの問題だったりするし、KPIが微妙に達成しない、といった、些細なことである。
「なんとなくやり過ごす」と書いたが、それは組織として「受け入れた」ということでもあるので、本当に怖いのは、それがだんだん文化として定着していき、優秀な人間が転職していくだけでなく、「良くないこと」が積み重なって、いよいよ閾値を超えてしまったとしても、組織としてリカバリーする力を失ってしまうことだ。

こうした場面のやりきれなさと言ったら、本当にたまらない。
経営共創基盤代表の冨山和彦氏の言葉に、「危機的な会社ほど、危機感が無い」というものがあるのだが、リアルタイムに実感していた人間としては、まさにという実感である(それまでの小生は、経営危機と言えば、「修羅場」のようなイメージを持っていたが、実際に経験したのは「脱力感」「無力感」と言ったほうが近い)。

未来というのは、現在の選択の積み重ねであり、その現在をどう捉えるのか、というのは、その人の視点の持ち方によって大きく異なってくる。
キャリアにおいても、将来を見越して今現在をどのように過ごすのか、すなわち昨日と同じ今日を生きるのか、それとも問題意識を持って何かを変えていくのか、そこに大きな分かれ目がある。

気が付いたら年齢を重ねていて、ある時転職を考える瞬間が訪れたとしても、それは過去のその日その日を、どのような問題意識を持って生きてきたか、「問題を問題として認識し、対処してきたか」によって、大きく変わっていくのだろう。
ふと先日、過去の大きな分かれ道で、違う選択をしていたら、と振り返る機会があり、ちょっとゾッとしたものだから、思わずこんなことを書いてしまった。

まぁ、ご参考ということで。