人間到る処青山あり

諸々よもやま話(とりあえず)

自らの能力を見出す。

実は小生この20年来、一つの武道に勤しんでいて、そんな中で色々な人達を見てきているが、20年間見てきて、進歩する人もいるし、そうでもない人もいる。
自分が稽古に取り組む中で色々と試行錯誤をしたり、周りの進歩した人、しなかった人を観察していて、つくづく感じるのは、進歩するのに重要なのは、いかに自分が進歩したかを認識するか(ある種「発見」するかと言ってもいい)、にかかっているということだ。

日々稽古をしていて、自分が出来ないこと、至らないことを見出すのは、とてもたやすい。
それを克服する為の努力をする行為そのものも、実はたやすいのだが(努力すればいいだけなので)、出来るようになるには、試行錯誤の中で、自分が「出来た」状態を、自分で認識するというその瞬間を見いだせるかが勝負なのだ。

見いだせれば、後はそれを寝ていても出来るようになるまで定着させるという、これも作業レベルの話が続くだけ。
一つ一つの出来ることは大したことはないのだけれど、それを「出来た」と認識して、きっちりモノにしていくのが、進歩にはとても重要だと考えている。

仕事の上でも同じだと思っていて、自分は何が得意で、何が人と際立つ特徴なのか、というのは、近付いたり離れたり、比較したりじっと見つめたり、丁寧に向き合う中で、認識(=発見)出来るものではないだろうか。
あるいは、新しいことにチャレンジすることで、思いもよらない得意技を発見することもある。

小生も最近、ミーティングの進行をやりながら議論のメインプレーヤーになり、議事録も書く、という場面が続き、「これはなかなか出来ることじゃないだろ〜」と自画自賛している。
「何だそんなこと、しょーもない!」という話なのだが、そういう小さなことを、自分の「出来る」こととして認識していく積み重ねが、進歩につながるのだと思う。

ともすれば日本人は、「いやいや私なんて」という人が多い。
そうやって謙虚に振舞うことは、実はたやすいことで、「いやいや私なんて」と言い続けている限り、1ミリも前進しない。

「とは言ってもこれは出来るなぁ」みたいな、日々の発見を通じて、たとえ1ミリでも、前進することができると信じている。
日々の生活の中で、出来ないことを前に立てることが多くなって、前進することを忘れてはいないだろうか?

新しいことへのチャレンジと、自分自身に丁寧に向き合うこと、そんなことの重要さを感じる今日この頃。
まぁ、ご参考までに。