人間到る処青山あり

諸々よもやま話(とりあえず)

「AI時代に輝く子ども」 読了 〜人間は回帰する〜

まずはリンク。

AI時代に輝く子ども STEM教育を実践してわかったこと

AI時代に輝く子ども STEM教育を実践してわかったこと

  • 作者:中村 一彰
  • 発売日: 2018/12/15
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 

当然人の子の親として、こういう本に興味は持ってしまう。

Amazonでの評価も高かったため拝読。

 

STEM教育スクール事業を運営する企業の代表による本で、これからの教育の在り方を論じつつ、自社の取り組みやその中で子供たちがどんな反応を示しているのか、といった内容を紹介している。

ja.wikipedia.org

 

STEM教育と言っても、今までの理数系の勉強をもっと頑張りましょう、という話ではない。

そういった知識を用いながら、総合的に現実の場面での課題解決につなげる力を養いましょうというような方向性である。

 

いや、そもそも「何をやりましょうか?」から子どもに考えてもらうと言ってもよい。

そうなってくると、親としては著者のスクールに行かせるかどうかは別として、たしかにそういう力は身につけてほしいもの。

 

問題提起の力と問題解決の力は、大人として失われることのない重要なスキルだと思っているくらいなので(常々、新規事業は問題提起であると述べている)。

それにしても、こういった形での学問のありかたは、アリストテレスであるとか、もっと下ってダ・ビンチとか、そんなスタイルを想起させる。

 

かつての人類の学びは、非常に広汎なものだったはずだが、それが時代とともに専門分化され、一人の人間が生涯かけても修めきれないほど深まってしまった。

それをまた統合させて、あらたな進歩につなげよう、そういう回帰的な動きに見えてくる。

 

もちろん中世や古代に逆戻りすれば良いわけではなくて、これまでの叡智を昇華させる取り組みなんだろうなと。

はてさて、そんな遠大なことを夢想しつつ、親として子どもにどう向き合おうかと考え込むのである。

 

まぁ、ご参考ということで。 

「右脳思考」 読了 〜むしろガチガチの論理思考の方が少ない〜

リンクはこちら。

 

右脳思考

右脳思考

  • 作者:内田和成
  • 発売日: 2018/12/26
  • メディア: 単行本
 

 

 

内田氏の著作は何作か読んだことがあるので、日替りセールで推奨されたタイミングで購入。

「仮説思考」「論点思考」に続く三部作の集大成、みたいなコピーを見た記憶があり、それも購入の後押しになった気がする。

 

ビジネスの現場では忌避されがちな「カン」や「感情」の重要性を説きつつ、どうすればより良いアウトプットになるかの方法論を考察している。

入口は右脳、構成を左脳、アウトプットを右脳(人を動かす表現というような意味合い)というようなサンドイッチ構造を推奨している。

 

最近の医学研究には、右脳左脳という役割分担は幻想、という主張も見たことはあるが、そんな無粋な話は傍に置くとして。

著者が右脳思考の有用性を説けば説くほど、左脳思考の人間など、仕事の現場ではむしろ超レアケースなのではと思えてしまう。

 

元々みんな感情で動いているのだから、右脳思考を体系立てて整理する意義はあるとしても、本書の主張に取り立てて新しい要素は無いように感じる。

もちろん、新しくなければ価値がないわけではないが、「仮説思考」「論点思考」と比較すると、個人的な学びは乏しかった印象。

 

この辺は、小生が比較的人間の感情の機微に敏感な「右脳型人間」だから、そう感じたのかもしれないので、「左脳型」かもと自覚する人が読むと、また違った学びがあるかもしれない。

まぁ、ご参考ということで。

 

 

「逆境を『アイデア』に変える企画術」 読了 〜あくまで中心はビジネス〜

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Kindle Unlimitedの一覧で拝見して、評価も高かったので拝読。

なんせ企画の仕事しているんでね…。

 

博報堂のプランナーである著者が、過去関わった事例を援用し、タイトルの通りの内容を展開していく。

枚方パークだったり森永のお菓子だったり関西の大学だったり、流石博報堂さん、面白い案件を手掛けていらっしゃる。

 

企画術が40個あることにそんなに意味はないし、すべてを抜け漏れなく読んで理解する必要は無いと思う。

リアルな事例を追体験しつつ、解説を受ければきっと意味のある知見は得られるはず。

 

それにしても、広告であろうが新規事業であろうが、成功の本質にあるのはビジネスの構造理解である。

著者によれば、逆境に陥ってしまったビジネスは、本来正しく成長するはずのスパイラル(=ビジネスの構造)が逆回転してしまっているとのこと。

 

どうやればそれを正の回転に戻せるのか。

それも予算が限られているから、絞られた箇所に集中しつつ、である。

 

関西の大学の事例で著者が取り組んだのは、偏差値を上げる、という一点。

それを広告を武器にどう実現したのか。

 

興味のある方は是非ご一読を。

まぁ、ご参考ということで。

「欲望の資本主義」 読了 〜思想的に大きな変化が訪れつつある〜

まずはリンク。

 

 

 

欲望の資本主義

欲望の資本主義

 

 

 

欲望の資本主義2

欲望の資本主義2

 

 

 

順番が乱れていて申し訳ないのだが、本書はとりあえず3冊のシリーズとなっている。

元々はNHKの年始の特集番組だったものを書籍化しており、今年4が出るのかもしれない。

 

国際的に活躍する気鋭の経済学者・哲学者・キャピタリストなどのインタビュー、対談集となっていて、非常に刺激的な書籍。

冷戦終結後の資本主義の行方に関しては、もう何十年も議論が続いているが、十数年前のリーマンショックの整理がつきつつある中で、トランプ政権の成立に「我々はどこに向かうのか?」という不安まじりの問いがたった、というのが本書の成立の経緯と推察する(という風に小生個人が思っているからだ)。

 

本書の登場人物で刺激ある議論を展開して大変興味深かったのは、

チェコ出身の経済学者、トーマス・セドラチェク

https://en.m.wikipedia.org/wiki/Tom%C3%A1%C5%A1_Sedl%C3%A1%C4%8Dek_(economist)

と、

ドイツの哲学者、マルクス・ガブリエル

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%82%AF%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%82%AC%E3%83%96%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%AB

の両名。

 

詳しくは本書をあたっていただくとして、こういった同世代の(いや、小生より若い)学者が世界の論壇で脚光を浴びつつあるというのは、非常に頼もしい限り。

あとで振り返れば、思想的な大変化の只中にあり、それを彼らが切り開いているのかもしれないので、今後の活躍を楽しみにしたい。

 

まぁ、ご参考ということで。

「小学校最初の3年間で本当にさせたい『勉強』」 読了 〜「子育ての目的は幸せな思い出をつくること」〜

リンクはこちら。

 

小学二年生の子を持つ親としては、思わず手に取らざるを得ない一冊。

Amazonの評価も高い。

 

作文の通信添削塾を長年営む著者による初等教育指南本。

書いてあることは、読書習慣を身につけることなど、概ね表紙の帯の通りと思ってもらってよい。

 

が、それで終わりにせずに読んでもらえたらな、と思うのが、著者の親にも子にも温かいスタンス。

本日のエントリーのタイトルにカッコ書きで引用した文章などがまさにそう。

 

親として「そうだよね、それで良いはずだよね」と思わず頷いてしまう。

低学年のタイミングで先取り勉強をしても、すぐに追いつかれてしまうとか、記憶に残るのは楽しかった家族や友達との遊びの思い出なのだからしっかり遊ばせるべきとか、本格的な勉強は高一スタート高三ピーク(当面の世の中は)なのだからそれに向けた自学自習勉強の習慣を身につける、とかとか。

 

ほんの少しでも良いので自分で計画を立てて勉強する習慣とか、スケッチブックではなくガンガン落書きできる環境とか、すぐに準備してあげたい。

電子書籍の利活用とか、AI時代の子育てとか、中学受験すべきかとか、今時の話題にも一定の見解を示してくれているのも好印象。

 

子供が高学年に入った親でも遅くはないと思う示唆が多いので、是非ご一読あれ。

まぁ、ご参考ということで。

 

 

ターゲット不在の恐ろしさ

昨日たまたまネットをうろうろしつつ、広告を踏んだ流れである自動車メーカーのセダンの商品ウェブサイトをなんとなく見ていたのである。

「おぉ、結構高いな」とか、そんなどうでも良い感想を抱きつつ、ふとデザインしか「推し」ポイントが無いことに気付く。

 

確かに燃費も良いし、安全装備も最新なのだが、それは同時期に出たクルマだったら全部同水準。

なのでデザイン「推し」なのか?

 

家族持ちならセダンよりミニバンの方が明らかに便利。

コストと日常の使い勝手であれば軽自動車が良い。

 

そのどちらにも収まらないニーズの受け皿としてコンパクトカーがある。

ミニバンや軽自動車やコンパクトカーには、ターゲット顧客であろうモデルの画像と利用シーン、それらにマッチした機能がこれでもかとアピールされている。

 

収まりきらないので専用のスペシャルページがあるくらい。

翻って最初のセダンといえば、スペシャルページはなく、画面に人は居なくて、ひたすらクルマの内外装とスペックのみ。

 

これはもう、セダンというクルマを、どんな人がどんな目的で乗るのか、メーカーも分からなくなってしまったということだろう。

ターゲットがわからない以上、商品開発の方向性はひたすらスペックを上げるか、安くするかしかない。

 

そうなるとビジネス的にキツいから、デザインを推すことにしたのかもしれないが、ターゲット不在であればやっぱり方向性は作れないので、「ボクが考えたかっこいいクルマ」よろしく、ひたすら尖らせていくしかない。

かくして、誰も買わないクルマが出来上がる。

 

嘲笑っているのではない。

世界中から優秀な人材を集め、長年マーケットで存在感を示し続けているグローバルなメーカーですら、堂々とこんな判断をしてしまうのである。

 

ましてや我々は、ということで、背筋が寒くなりつつ、気を引き締めた次第。

まぁ、ご参考ということで。

 

 

 

記憶は遠くなりにけり

今日、この日については、震災について振り返らざるを得ない。

それにしても、9年たった現在において、別の要因で自粛やモノ不足、自宅待機などという事態は、なんとも因果なものである。

 

震災では、幸にして小生自身も、身近な方々にも生命・身体に被害を受けた人はいなかった。

なので今となれば「あの時は大変だったね」と振り返ることができる。

 

しかしながら日本の各地では、今なお現在進行形で震災と向き合い、振り返るステータスにない人々がいる。

小生自身はこの9年の間に、防災や減災、被災生活の「不」を解消するテーマの新規事業案を、クライアントと一緒に検討してきた。

 

一方で、そのテーマを実際には形にしてこれなかったことについては、力不足を恥じ入るばかりである。

それにしても、新規事業案を検討するたびに、関係者にインタビューしたり、「あの時はこうだった」と振り返ったりしているのだが、徐々にライブ感の薄い、遠い記憶になりつつある、というのが正直な告白。

 

忘れてしまうことには抗えないのかもしれないが、現在進行形の人々に想いを寄せながら、今後も精一杯振り返り、向き合い続けようと思う。

まぁ、ご参考ということで。