人間到る処青山あり

諸々よもやま話(とりあえず)

「人類5000年史 1」 読了 〜こんなのが書ける会社員って…〜

リンクを貼る。

人類5000年史I: 紀元前の世界 (ちくま新書)

人類5000年史I: 紀元前の世界 (ちくま新書)

 

 

池上彰佐藤優出口治明の三氏は、小生の中では「多読・博覧強記・教養人」の三羽ガラスであり、これまでも著作は読んできた。

本書については、Amazonのレコメンドで拝見し、「はて、企業人の書く歴史書とはいかなるものか?」という興味本位でポチってみた。

 

最終的に何冊になるのかはわからないのだが、本書はシリーズとしての第1冊。

なんと、生命の発生から言及しつつ、人類史を年代ごとにエリアを跨ぎながら順に追っていく編集。

 

小生、高校の世界史は「山川」だったのだが、本書の方が地域の切り替わりが多い印象を持った。

当時の「山川」は、エリアを区切って数百年の区切りを追った後、別のエリアにテーマを移して年代を遡って再スタートという印象があって、全体像が掴みにくかったのだが、本書の方は短い年代区切りで「その頃こちらでは」という感じで進んでいくので、展開を追いやすい。

 

もう一つ感じたのは、一人の人間が「語り手」としてずっと進めていく構成は、頭に入りやすい。

もちろん全部記憶できるわけではないのだが、個人的にはすんなり読み進められた。

 

しかし、良くも悪くも歴史書であって、出口氏のカラーなり、含蓄なりというのは少々抑えめ。

ところどころに豆知識的な要素もあるものの、一定のテーマを持って深く切り込んでいくわけではないので、「後世の人間が受け止めるべき学び」みたいな観点も乏しいのだが、それは本書の建てつけ上、致し方あるまい。

 

小生の読書は、「(ビジネス、フィジカル、メンタルが)強くなるための読書」を目的としているので、本書の続きを読むかというと、ちょっと可能性は低そうな感じである。

それにしても、教養人と名高い著者ではあるが、学者でも研究者でもなく、企業人として一般の会社員よりも多忙な立場の人間が、世界史を書くというのは超人的である。

 

普通は書こうとすら思わないはずなので、驚異の一言。

いやはや、我々も頑張らなければ。

 

まぁ、ご参考ということで。

 

「もう、きみには頼まない」 読了 ~生涯現役の努力~

まずはリンク。

石坂泰三の世界 もう、きみには頼まない (文春文庫)

石坂泰三の世界 もう、きみには頼まない (文春文庫)

 

 

城山三郎氏の人物評は「粗にして野だが卑ではない」以来。

今回は第一生命の創業期の経営を支え、東芝社長、経団連会長の要職に長くあった石坂泰三氏が主役。

 

「メザシの土光」と言われた土光敏夫氏の先輩格にあたる人なので、個人的にはだいぶん遠いと感じる年代ではある。

サラリーマンとして大成功したと言って良い来歴なので、それだけでは城山氏も取り上げる意欲は湧かなかったそうなのだが、石田禮助氏、五島慶太氏と書き進めていく中で、交友関係に浮かび上がる石坂氏の多面的な人物像に興味を惹かれ、上梓に至ったそうである。

 

詳しくは本書をあたっていただきたいが、変化の多い人生を送ってきた人である。

偶然をチャンスとしてきたという意味では、クランボルツ先生のキャリア論を彷彿とさせる。

 

その機会をものにするだけの準備や努力を怠らない人であったことは間違いない。

よく学び、外に機会を求め、表裏を使い分ける賢さも持ち合わせる。

 

それだけであれば、単なるサラリーマン大成功物語だが、7人の子供たちとの人間関係や、早くして死別した妻への想いなどが、人物像に厚みを持たせ、特に男性読者の心に響くのだと思う。

「粗にして野だが卑ではない」のようなヒロイズムは無いものの、しみじみと味わい深い評伝なので、特に愛妻家の皆さんにお勧めしておきたい。

 

まぁ、ご参考ということで。

若者は迷う

小生の個人的な経験で述べると、おじさんになると、あんまり迷ったり、場合によっては悩むことすら少なくなってしまう。

キャリアの話をすれば、普通、歳を取るほど選択肢は減っていくので、「このままでいいのか(大丈夫か)」というのを別にすれば、「どこを目指すべきか」「将来どうなるべきか」といった悩みは自然消滅していく。

 

迷いようがないというか、基本的にやって来たことの先に未来があるので、多少の方向修正の余地はあって、まだまだ面白いのだが、少なくとも「五里霧中」という状況からは脱する。

そう、これは「良くも悪くも」なのだが。

 

また、仮に苦しい状態が続いていたとしても、それもまたいつか終わりがあることを理解しているので、結構耐えられる(但しこれは生存者バイアスかもしれない)。

さらにいうと、体力的な限界値も経験で学ぶことによって生活をコントロールしつつ、若者が思うほど体力は落ちないので、やたら元気で体力がある(ように見える)。

 

このようにしてだんだん、おじさんたちは強くしぶとく、憎たらしいくらい割り切れた人達になっていく。

気がつくと、若い頃に「あぁ、なんだこの人達、バケモンか」と思ったオッサンに、少し近づいている自分。

 

そんな風に分析すると、20代の頃が如何に不安定であったか。

無限とも思える未来が、逆に方向感を見失わせ、成功体験がないゆえに自信もなく、必要以上に感じるプレッシャーに心休まらない。

 

仕事もプライベートも同じステータスであれば、まぁ辛いに決まっている。

「俺の若い頃はこうだった」というほどの経験を持ち合わせない小生は、そんな若者を前にすると、昔を振り返ってただ共感することと、いずれ時間が解決するということを伝えることくらいしかできない。

 

もちろん、そんな現状を打破するための「悪あがき」は、大いにやったらいいと思う。

吉と出るか凶と出るか、誰にもわからないけれど、それもまた人生。

 

真剣に悩んだ末の「悪あがき」は、長い目で見たときに、きっと意味のある経験に繋がるはずなんだよね。

ちょいと若者から心境を打ち明けられたりしたので、おじさんの思うところを綴っておく。

 

まぁ、ご参考ということで。

新聞を復活させてみる。

このところの5〜6年くらい(いや、もっとか?)、新聞を読んでいなかった。

紙も電子版も(ネットで電子版の記事を拾い読むことはある)。

 

ちなみに地上波のテレビも習慣的に見なくなって20年くらい経つ(こちらも少し見た時期がなかったわけでもないけれど)。

もっぱら情報収集はウェブと書籍ということになる。

 

新聞をやめたのは、浅い取材で書かれた記事が多いと散見されたこと。

自社や周辺業界について新聞で取り上げられたのを読んで、「ちょっと浅いなぁ」と思った経験は、誰にもあるんじゃないだろうか。

 

小生の場合、金融と人材という二つの業界を跨いでいて、それぞれの業界で同じように感じたものだから、「ひょっとして全てに浅いのでは?」と思ってしまったのだ。

また日経についていうと、「日経が書きたい事実」が鼻に付くところがあり、それもあって身を引いたところがある。

 

やめた後については、Feedlygoogleアラート、および各種ソーシャルメディアを使い、フォローすべき専門家・ニュースサイト・キーワードを貪欲に追い続けてきた。

インプットの質と量については満足しているし、お褒めいただくことすらある。

 

という中で、また新聞を復活させる理由なのだが、やはり情報収集が尖りすぎていて、フツーの情報が抜けつつあるな、というのが顕著になってきたから。

当初からこうなることはわかっていたものの、最近インフラ系の事業に関わる機会が多くなり、災害などの、これまで追っていなかった情報にインパクトがあったりするという、小生側のステータスの変化もある。

 

とりあえず復活させてみて、インプットの在り方はどうあるべきか、しばし様子を見ながら検討したい。

ちなみに今回も電子版ではなく紙。

 

新聞紙は掃除やら作業やらに何かと便利なので(笑)。

まぁ、ご参考ということで。

「未来国家エストニアの挑戦」 読了 〜必要は発明の母〜

まずはリンク。

未来型国家エストニアの挑戦【新版】 電子政府がひらく世界 (NextPublishing)

未来型国家エストニアの挑戦【新版】 電子政府がひらく世界 (NextPublishing)

 

 

イノベーション界隈では、国全体でICT化を加速化させているエストニアの事例は有名。

その視察に訪れる日本企業がイケてないという話まである。

 

https://www.msn.com/ja-jp/news/money/%E3%82%A8%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%8B%E3%82%A2%E3%81%A7%E3%80%8C%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%BA%BA%E3%81%8A%E6%96%AD%E3%82%8A%E3%80%8D%E3%81%AE%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%88%E3%82%A2%E3%83%83%E3%83%97%E3%81%8C%E5%A2%97%E3%81%88%E3%81%9F%E7%90%86%E7%94%B1/ar-AABj8Qk

まぁ、シリコンバレー視察でもよく言われている話なので、既視感はあるのだが。

 

それはともかく、同国の取り組みが如何なるもので、ひとりの日本人として何かヒントになるものはないかと思い、拝読した次第。

エストニアで行政に関わったことがあるエストニア人と、日本人による共著。

 

序章にエストニアの概略や成り立ちがあり、制度や行政を中心とするサービスの具体的な紹介が続き、日本への提言という形で締められている。

旧ソ連から30年弱前に独立し、大国に地続きで挟まれながら歩み出した人口100万の国家となると、なるほど日本とはだいぶ状況は違う。

 

国として独立を維持しつつ、いかに成長軌道に乗せていくか、その必至の取り組みの結果としての電子政府など、ということのようだ。

どうもシンガポールベンチマークしたようであるが、高付加価値産業で存立を図り、そのためのツールがシンガポールは貿易と金融、エストニアはICTだったと理解できるので、シンガポールを引き合いに出されるとアジア人としては腹落ちしやすい。

 

中盤で紹介される彼の国の事例は、なるほど凄いねと思わされるものの、意外と慎重に設計されてるのね、というような話もあり、実は遥か遠い先をいっているわけではないんじゃないか、と思わされるところもある。

日本でもマイナンバーが導入され、まだ道半ばではあるが…。

 

本書でも主張されるが、この事例を「だいぶ状況が違う」異国の事例として受け流し、変化しない言い訳を述べるのではく、いかに真剣に受け止めるか、だと思う(当たり前だけれど)。

日本だって人口減少は消滅の危機と言って良いくらいだし、資源もないし、地方では過疎が進むし、もはや待った無し。

 

本書タイトル通り、今や未来国家と言われる国だって「挑戦」しているのである。

いわんやまさに衰退を迎えている国をや、である。

 

まぁ、ご参考ということで。

 

 

 

 

 

「イノベーションの作法」 読了 ~やり方はわかった。あとはどうする?~

まずはリンク。

SHIFT:イノベーションの作法

SHIFT:イノベーションの作法

 

 

小生は筆者のファンである。

ネットへの寄稿やインタビューは、ほぼカバーしているし、ハーバードビジネスレビューへの寄稿をムック化した唯一の著作も持っており、当然本書も買うのである。

 

本書は、ハーバードビジネスレビューに寄稿した著者の連載をまとめたもので、小生が以前購入したムックも、巻末付録的に付いている。

小生はそれだけのファンなので、本書で新たな気付き、学びがあったかというと、それはないのだけれど、明快なチャートとともに一冊にまとまっている意義は大きい。

 

ご存知ない方のために、著者の理論の魅力を述べておくと、イノベーションに対する明確で具体的な方法論を語っていることである。

過去の武勇伝から導き出される経験知ではなく、再現可能と感じられる形式知にまで昇華させているところが凄いと思う。

 

イノベーションの定義を、「見たことも聞いたこともないもの」「実現可能なもの」「議論を呼ぶもの」と置き、偶然に頼らずそのアイデアを生み出す方法論を示す。

もちろんアイデア創出だけではなく、社内の通し方、リサーチの仕方など、幅広いメソッドを提示してくれている。

 

この手の本は好き嫌いがあるのかもしれないが、イノベーションに関わりのある仕事をしている人は、一度読んで損はないと思う。

つくづく思うのだが、今の日本では、こういった優れた方法論、ノウハウについては、十分行き渡っているのではないか。

 

古い本も読むのだけれど、良書も多数あり、風化したわけでもないから、最近になって知識レベルが高まったともいえまい。

そうなると、仮に日本でイノベーションが起きていないのだとすれば、それは方法論が理由ではないということになるだろう。

 

小生に仮説はある。

新しいものが生まれるというのは、世代交代である。

 

世代交代には旧世代の「死」がつきものだが、日本はまだまだ旧世代が「死んで」ない。

大企業の皆さんの危機感は強いけれど、ベンチャーや中小企業で明日の糧を求めて駆けずり回った経験からすれば、全然余裕。

 

3期連続営業赤字とかにでもならないと動き出さないんじゃないの、と思ってみたり、でも個人的な経験を振り返ると「危機的な会社ほど危機感がない(by富山和彦)」だったりするしなぁと思ってみたり。

そうなると、日本でイノベーションが起きるのは、残念ながらもう少し先のことになるだろうし、危機感が生まれないままフェードアウトしていく会社も沢山出ることだろう。

 

クワバラクワバラ。

まぁ、ご参考ということで。