人間到る処青山あり

諸々よもやま話(とりあえず)

アナロジーの話

小生が尊敬してやまない人事コンサルタントがいるのだが、その方がリードする新卒採用プロジェクトにご一緒したことがある。

誰をターゲットにし、会社をどのように見せ、選考プロセスで如何に学生が離脱しないオペレーションを組むか、という観点でアドバイスしていく(もちろんそれだけでは無いが)。

 

小生はその時、「あぁ、これはECと同じだな」と感じた。

特に、カスタマーが商品をカートに入れて決済するまで、如何に離脱しないようにするかという話とよく似ている。

 

そうなると、ご一緒している我々も、「もっとこうした方がいいのでは」「このやり方は違うのでは」といった意見が出しやすい。

そうなるとウェブページのディレクションも同じだな、とか、色々展開できるわけだ。

 

かように、類推、類比できるものが思いつけると、議論も広がるし、深くもなっていきやすい。

逆に、落とし穴や解決策も見つかりやすくなる。

 

「この話は何に似ているか」を常に意識しつつ、構造で理解する癖をつけておくと、誰でもすぐにできるようになるのだと思うけれど、小生の場合は仕事柄、やたらと色々な「ビジネスモデル」を見るので、ことビジネスに関しては、アナロジーを思いつきやすい環境にいるのだと思う。

その果実は、惜しげも無くクライアントに還元しつつ、そんな環境を与えてくれるクライアントに、心から感謝したいと感じた、今日の仕事であった。

 

まぁまぁ、ご参考ということで。

 

 

本当に朝8時までに済ませておくべきこととは?

今朝はこんな記事を読んだ。

gigazine.net

 

自己啓発系のよくある記事ではあるが、8つもやっていたら大騒ぎになってしまう。

メディテーションやったり高負荷のトレーニングやったり、タンパク質たっぷりの朝食をとったり、なんだかメディテーションをした意味がないほど忙しそうだ。

 

それはともかく、トレーニングはやったほうがいいと思う。

夜は疲れているし、やっぱり続かない。

 

あとは、家族と過ごす時間と会話、特に朝食を共にすることであろう。

1日の計画を立てるという人も居るが、そんなのは会社に行ってからでも良いと思う。

 

その時にベストなパフォーマンスが出せること、そのときにしか出来ないことを行うのが、結局は正しいのではないかと思ったり。

PCのバッテリーがなくなってきたので今日はこのへんで。

 

まぁ、ご参考ということで。

イメージで語っていないか

先日読んだビジネス書に、「〇〇は合気道のように」というくだりがあって、小生は「またか」と辟易したのである。

合気道はお歴々の先生方が、割と自由に教えてきた経緯もあって、「まちまち」なイメージが流通しがちである。

 

その本も「開祖はそんなこと一言も言ってないでしょ」という理解で語られていた。

ちゃんと普及活動をしていない我々の責任でもあるのだが、そもそも本の著者は合気道をやったことがあるんですかね、という話である。

 

スポーツや娯楽であれば、やったことがなくても、観戦者やファンの視点というのはあり得るが、合気道は競技ではないので、基本的には「やる人」「やったことがある人」と、それ以外しか存在し得ない。

しかしまぁ、有名ビジネススクールの講師がそんなことを書いてしまうと、個人的にはそれ以外の内容の信頼性も失われてしまうので、大変残念である。

 

ところで、新規事業のアイデアを討議する中で、そこそこの確率で「日本文化をなんたらかんたら」というのが出てくる。

保存だったり再定義だったり、インバウンド向けだったりと色々だが、残念ながら、それを言い出す方たちで、実際に「日本文化」に関わる活動をしてきた割合は、かなり少ない。

 

皆さんイメージで語っているのである。

当然、そういうアイデアは、「なにを解決するか」も「なにを武器にするのか」も「なぜやるのか」も「なにがゴールなのか」も全部曖昧なので、極めて弱い。

 

リクルートグループなんかで言われる、「不の手触り」が無いのである。

「不の手触り」が無いアイデアは、何時間議論しても、どんなフレームワークやツールを使っても、決して深まらない。

 

では、どうするか?

その「不」を抱えているであろう人、その周辺の人達に話を聞きに行き、「同じ風呂に入る(彼の靴を履く、ともいう)」のである。

 

話を聞き、深いところから共感し、「不」を「自分事」として語れるようになった時、初めて「不の手触り」が出てくるのだ。

 

そこを起点にして、解決策や市場分析、仲間作りを行っていく。

いずれにしても、イメージで語っているうちは、全く進展しないと言っておこう。

 

それにしても、合気道のイメージがなぁ…。

まぁ、ご参考ということで。

 

 

 

一隅を照らす

「一隅を照らす」という言葉をご存知だろうか?

天台宗が起源だそうだけれども、まぁ、「持ち場持ち場でベストを尽くせ」というのが、ものすごくざっくりした意味だと理解している。

 

一応関連のリンクも貼っておく。

http://ichigu.net/

 

大きな事業を仕掛けようとしている経営者なんかは、偉業を達成したのに、プライベートはボロボロ、なんていう事例も時々あったりして、「一隅を照らす」という言葉の意味をつくづく考えさせられる。

「半径50センチ」のこともままならないのに、偉大な事業とは笑わせるな、という人達もいるけれど、単純にその通りとも思わない。

 

細かいことがどうしても上手くないという人もいるし、偉大な事業へのチャレンジは、それはそれとして賞賛されて良いと思う部分があるから。

ただ、独りよがりになってしまうのは、偉大なチャレンジだったとしても、ちょっといただけない。

 

事業というのは、究極、仲間を増やすことだとも言えるからだ。

一緒に立ち上げら仲間、支援してくれるパートナー、最終的には買ってくれるお客さん、みんな「仲間」だ。

 

だから、身近な仲間一人作れなければ、「何が事業か?」というのは問われてしまうと思う。

たった一人でも、その事業に希望を見出し、喜びを感じる仲間を増やすことが、「一隅を照らす」と言えるとするのなら、まさに天台宗で説こうとしていることは、こういうことなのかもしれないけれど。

 

転職にしたって、配偶者一人仲間にできない転職活動は、上手くいかないだろうしね。

まぁ、ご参考ということで。

変人、偉人、凡人

今日、お世話になっている友人と、所属部門の採用の話になった。

そちらはまだ歴史の浅い新設の部門で、優秀だけれどある種既存の枠組みに収まらなかった人達が、色々な事を試しながら、クライアントへの提供価値を見定め、部門として存在を確立してきた経緯がある。

 

結果的に、幅広い領域を取り扱うことになったのだが、さて今から中途採用を行おうとすると、幅広すぎて対象となる経験をしている人が皆無になる。

かといって、なんの専門性もないと現場で役に立たないので、ますます人材像が見えず、人事、人材エージェント泣かせの採用になる。

 

唯一の方法は、部門立ち上げ時のメンバーに直接判断し、会ってもらうこと。

「何となくピンときた」感じが実は正解で、双方に軽い興味がある中でお引き合わせすると、企業側は新規事業をものにしてきた筋金入りの「変人」達。

 

「これは」と思った人材は絶対に離さないし、話も面白いから、人材側も引き込まれて、一気に握手ということも。

唯一の難点は、やっぱり「変人」なので、「何となくピンときた」が、やっぱり普通じゃないということで、どちらかというと経歴の綺麗さより、個性重視という感じを、うまく掴めるかということかなと。

 

友人とは、その後別の話題にも発展して、組織とかイノベーションの四方山話に至るのだが、小生としての振り返りをすると、どんな組織も「変人が立ち上げ、偉人を口説いて発展させ、それに憧れた凡人が世に広める」ということだろうか。

凡人世代がイノベーションを仕掛けるなら、二世代上の変人世代を上手に巻き込むのがコツじゃないか、とも思ったり。

 

まぁ、ご参考ということで。

中途半端な買い物が一番いけない

わたくしごとだが、小生は少しカメラをいじる。

先日、自分にとっては清水の舞台から飛び降りる心持ちで、ハイエンドのレンズを買った。

 

前々から欲しかったのだが、額も額ではあるものの、経済的損失というより、買っても使わなかったらどうしようという、「失敗への恐怖」から先送りにしていた。

しかしまあ、娘のイベントが増えてきて、パパ友ママ友にお配りしていたお友達写真への期待値が高まってきたこともあり、遂に決心したのである。

 

で、結果としては大正解。

なんで今まで先送りしていたのだろうと思うくらいで、これまでカメラのポテンシャルを発揮しきれていなかったのを痛感した。

 

その話を、プロの写真家の先輩に話したところ、「中途半端な買い物が一番いけない。高いと思っても、一番いいやつを買わないといけないのよ」と仰られた。

思えば、買い物で後悔した時を振り返ると、高い物を買って後悔したことはほとんど無くて、本当に欲しいモノを横目で見ながら、妥協したり、スペックで選んでしまった時のように思う。

 

たかが買い物ではあるが、人生の選択というのは、常に同じような顔をしているのではないか?

キャリア然り、(新規)事業然りで、本当にやりたいことから目を背けたり、チラ見しながら妥協しても、絶対に後悔するし、そもそも上手く行く可能性も怪しい。

 

「本当に欲しいモノを買え」そんなことを自分に言い聞かせながら、今日もレンズのカタログを眺めるのである。

まぁ、ご参考ということで。

アイデア倒れ

今日は、クライアントのご厚意で、某技術展示会の視察に伺ってきた。

目的の一つである、某社の展示を拝見したのだが、正直腑に落ちない。

 

その会社は、広い領域で基礎から応用まで研究もしているし、そのアウトプットとしての製品もあって、ある意味さまざまな領域を横断させた、統合的な未来像を示していたのだが、どうにも「そんなの嬉しいかなぁ」という印象。

AppleGoogleが先を行っている分野まで、自前で解決しようとしているようにも感じられ、表現したいことはわかるものの、顧客不在な感じもするし、技術的にも限界があるよう思った。

 

その流れで、同業の少し規模感の落ちる会社も拝見した。

そちらの展示は、比較的ありものの技術の組み合わせで、外見的にはインターフェースが大きく、使いやすくなっただけ。

 

触ってみるまでは「まぁ、画面が大きくなっただけだしなぁ」という先入観があったのだけれど、画面が大きければ表示出来る情報量が増え、利便性が向上するという基本の基本を思い出させてくれ、使い勝手もかなり工夫してあり、日本のメーカーの中では比較的珍しく、ソフトウェアの開発にパワーを割いたのだな、と感じられた製品。

正直、こっちの方がずっとええやん、と思った。

 

顧客視点という意味では、後のメーカーに軍配が上がるように思うが、しかしここは難しいところで、未来に向けたビジョンを提示できたのはどちらかといえば、間違いなく前者のメーカーだし、イノベーションの種となる研究の厚みもおそらく圧倒的であり、メーカーとして正しい道を歩んでいる。

前者は王道は王道、しかしアイデア倒れにならない工夫。

 

後者はニッチ戦略はニッチ戦略、しかし地道にな研究活動も重要。

ほんと難しいなと考えさせられた次第。

 

まぁ、ご参考ということで。