人間到る処青山あり

諸々よもやま話(とりあえず)

仲間を作る

どんな仕事でも、一人で完結するということはありえない。

新規事業では特にそうだ。

 

出発点が自分のやりたいことだったとしても、会社が認めてくれなければ事業としては立ち上がらない。

大義がなければ、協力してくれる人も増えない。

 

自分のやりたいことを実現するというのは、ある意味自分のアイデアを買ってもらうということでもある。

ひとに買いたい、という気持ちにさせなければ、絶対に前に進まない。

 

では、どうするか?

まずは、自分のやりたいことと、相手が求めていることをバランスさせること。

 

顧客視点を持つということだが、それは妥協なのかもしれない。

でも、結果的に自分のやりたいことが実現できるのなら、それもアリ、という考え方もある。

 

できる限り妥協したくなければどうするか?

しつこく説得を続ける、というのもある。

 

社外も含めた、権威を引っ張り出すというのもあるが、あんまり良い展開にはならないような気がする。

どうしても妥協できない人は、きっと今置かれている状況以上に孤独な戦いを覚悟して、自分の正しさを、周囲に示し続けることになるだろう。

 

しかし、仲間一人作れないアイデアは、本当に価値のあるものなのだろうか?

とてもシビアだが、そう思わざるを得ない。

 

孤独な戦いを続ける、それもまた、生きる道だけれども。

まぁ、ご参考ということで。

良いアイデアを生み出す方法

今日、ちょっとしたインタビューを受けていて、最初に聞かれた質問がタイトル。

「そんなんあるか!」とはもちろん言わない(笑)。

 

もちろん、安直な方法はないんだけれど。

お答えしたのは二つ。

 

一つは、余裕を持って日々の仕事なり、生活なりに取り組むこと。

単純にアイデアの数を出すだけなら、色々な方法はある。

 

しかし、良いアイデアとなると、精魂を込めて必死の形相では生まれてこないような気がする。

もちろんギリギリまで追い込まれることによって生まれることはあるが、これから考えようという人に向けたインタビューとしてはそぐわないし、いずれにしても、楽しんでいる心持ちは、アイデアを深める段階に移行してからも大事だと思う。

 

もう一つは、外の人と会話することだ。

自分だけで考える限界もあって、外の人から刺激を受けることは言わずもがなだが、散々悩んだ問いの答えを、外の人があっさり持っていることも何度も経験した。

 

また、外の人と会話することで、自分では気づかなかったアイデアの価値や、それに取り組む意味なんかが見えてくることもある。

イデアを深めるためには、実はこの点での気づきがとても大きいと思う。

 

あと、インタビューではお伝えしなかったのだが、情報量というのもとても大事だ。

世の中で問題で、知識だけで解決するものは結構ある。

 

そこに「アイデア発想」なんて大袈裟なものは不要で、単純に知識の量が勝負。

なんとなく、博識を軽んじる風潮を感じることも多いが、良いアイデアを生み出すためには、まずは情報収集し、知識を深めるのが肝要ではなかろうか。

 

まぁ、ご参考ということで。

目に見えない成果に対する努力

武術の稽古というのは、最初のうちは目に見えて上達するけれど、それはせいぜい初段まで。

期間にすると2〜3年というところだろうか。

 

そこから先は、少なくとも素人目には見えない成果を、どう作り上げていくか、という営みになる。

スポーツであれば、タイムなり、負荷なり、勝敗なりという、目に見える形で成果を測れるので、努力を継続しやすいと思うのだが。

 

ビジネスのマネジメント的な考え方においては、測定できないものは改善しようがないので、そのための努力は行わないという割り切りもあるのだが、昨今は企業や組織の「目に見えない」要素に着目して、なんらかの改善を図ろうとする取り組みも広がってきたように思う。

今日、ある上場会社で行われた、社内提案制度の最終審査会にオブザーバーとして参加してきた。

 

社内提案制度といえばリクルートが有名だが、あの会社の社内提案制度を支える文化や、関わる人々の視点、経験といったところは、いずれも目に見えないところで真似できないものがあるのだが、今日のクライアントも、負けず劣らず真似できない領域に到達しつつあるのではないかと強く感じた。

我々がお手伝いして5年になるが、審査に参加する役職員の当事者意識と、「自由闊達」とはこういうことを言うのだ、と思わせる審査会、まさに非凡である。

 

また、起案者の提案内容や熱意、プレゼンテーションの質の高さ、事業検証の為の行動力は、年々向上していると言って良い。

事務局の運営も、オペレーションから事業化に向けたネゴシエーションまで、相当上手だし、文化として継承されている兆しも見えてきた。

 

「真似できない領域」と評価させていただいた部分は、いずれも「目に見えない成果」。

関係者の努力には脱帽であるが、振り返ればあっという間の5年。

 

「たかが」といえば語弊があるかもしれないけれど、たかが5年で成果は生まれるのである。

成果が目に見えることはなくても、チャレンジを開始し、努力を続ける理由にはならないだろうか?

 

まぁ、ご参考ということで。

 

どんな新規事業がうまくいくのか?

これは、おつきあいが始まったばかりか、始まる前のクライアントからよく聞かれる質問である。

正直にいうと、残念ながらわからない。

 

もちろん「それっぽい」ことを言って、感心させるくらいのことはできるが、そういうことは不誠実だと思うのでやらないし、第三者ではなく当事者の一部として関われば関わるほど、一緒に右往左往するので本当によくわからなくなる、という面はある。

もう一つは、事業案を作り込んでも、結局やらないことが多いので、うまくいくかどうか(うまくいっていたかどうか)がよくわからない、というのもある。

 

コンサルタントとしての現時点でのアウトプットとして、事業案を「二勝三敗五引き分け」くらいに持って行けているという自負はある。

しかし「二勝三敗五引き分け」で、クライアントが「やってみましょう!」と言うかというと、普通はそうならない。

 

実際には十に一つという感じだから、「その一つがどうなったか」は語れるのだけれど、「もしあれをやっていたら?」というのが、その裏側にたくさんあるのだ。

事業は、その時やるのと翌年になって始めるのとでは全然違うし、同じ事業案でも会社にフィットしているのかどうかで全然違うし、フィットしていても本当にリソースを突っ込むかどうかで全然結果が違う。

 

山ほど伴走している立場からすると、もちろんうまくいった事例は知っているけれど、その何十倍もの「やってみたらよかったのに」「やってみたら違ったかもしれないのに」「もっと粘っていたら違ったかもしれないのに」を知っているので、一般論を語り難いのである。

この微妙な立場、お分りいただけるであろうか…。

 

そんな立場にあるからこそ、もっとやってみればいいのに。

やればいろんなことが見えてくるのに、と本当に思うけれど。

 

まぁ、ご参考ということで。

 

 

不合理な意思決定

小生と別の分野でコンサルタントとして活躍されている方とディスカッションをしたのだが、新規事業を行うという意思決定は、本来かなり不合理なものなのではないか、という意見が出た。

新規事業というのは、その会社として未知の領域へのチャレンジであり、ある種の未来予測であり、不確実なものである。

 

よく練られた事業提案でも、五分五分というのが関係者の感覚値であり、殆どの事業提案がそれ以下になる(新店舗などは、基礎データがあり、変数に限りがあるので五分五分ということは無いのだが)。

なので、合理的には殆どの事業提案は、やらない方が正しいし、よく練られた五分五分のそれでも、リスク回避行動としては行わない方が無難ということになる。

 

にもかかわらず、(多くはないとは言え)なぜ事業開始を意思決定してしまうのか?

その決断は、きわめて不合理な意思決定、事業についての合理性の観点からは「誤った」判断をしているのではないか?

 

振り返ってみると、意思決定者がやりたいと思っていたテーマだったり、起案者の成長を期待してのチャレンジだったり、会社が信じる理想の実現だったり、そろそろ何かやらないとヤバいという背景があったり、といった事情があった案件は小生も記憶にあり、事業評価についての合理性が担保された意思決定だったかというと、疑問符がつく。

しかし成功しているものも多く存在するのだが。

 

新規事業が不確実なものである以上、まずはチャレンジしてみるべし、というスタンスは変わらないのだが、起案者にとっては、事業化のゴーサインをもらうために、合理性だけではなく、決裁者の感情や心理を理解し、ノーと言わせない「不合理な」揺さぶりも必要なのではないか、なんていうことを考えたり。

まぁ、ご参考ということで。

 

新規事業を成功させるのはどんな人なのか

今日、クライアントのキックオフイベントに参加していて、参加者の方から「新規事業を成功させるのはどんな人なのか?」という質問を受けたのである。

質問を受けて「はて?」と考えてしまった。

 

年間で何十人も伴走して、成功も失敗も一緒に味わっているので、一定の目線を持たれているように思われるのだが、小生自身は「全ての人に可能性がある」と信じているので、適不適(向き不向き)を考えたことが、あまりないのである。

で、改めて考えてみて、パッと思いついたのは「総合力」であった。

 

起業家は違うのだが、組織で新規事業を推進する人は、アイデアも大事だし、構想力も大事だし、社内資料の作成能力も必要だし、組織内人脈や信用も大事。

出来る人は、外部支援者として惚れ惚れするくらいの「一流サラリーマン」である。

 

組織に最適化しているはずなのに、何処の組織でも通用するに違いないと思わせるくらいの、「サラリーマン力」。

と、考えたのだが、ご質問された方が、総合力の無い方だとガッカリしてしまうと思ったので、もう一つ大事だと思ったことを申し上げておいた。

 

それは、「粘り強さ」である。

どんな新規事業も、トントン拍子に進むことは無い。

 

なのに会社の要求水準は日に日に上がっていく。

「なんでこんなことやっているんだろう?」と自問自答したくなる日々が続く。

 

それでも前を向いて、一歩また一歩と歩みを進めるわけで、それはもう「粘り強さ」というほかないと思う。

とはいえ、「全ての人に可能性がある」と小生は信じているし、そういう方の自己実現を支援するのが、小生のミッションだと思っているんですけどね。

 

まぁ、ご参考ということで。

 

イレギュラーは1つまで

昔話である。

20代の頃、リスク性のあるものも含め、金融商品の販売を仕事にしていた。

 

会社側の提示してきた指針は、「①商品理解力があり、②リスク許容度があり、③資産背景のある顧客に、きっちり説明して理解をしてもらってから購入いただくように」というものであった。

しかし、現実問題として、全てを満たす顧客というのはめったにお目にかかれないし、その通りに営業を行っていたら、会社側が要求するノルマは絶対に達成できなかったと思う。

 

かといって、「現実的には売れません」ということを言い続けるのも、当時の小生の判断としては難しかった。

それはもう、とても厳しい板挟みである(体調を崩す同僚もいた)。

 

で、どうしたか?

上記3つの指針に、「(曖昧な基準だが)トラブルになりやすそうな顧客か」というのを加え、判断基準を厳密にした上で、その4つの指針のうち、1つについては解釈の幅を持たせる、という向き合い方をした。

 

商品の理解に、やや曖昧なところを残すものの、リスク許容度があり、資産背景もあり、あまり揉めそうにないタイプのお客様であれば、そういう方は大抵「やってみたい」と思っている面もあり、強引なクロージングはしないものの、お勧めはしていた。

しかしさらに、リスク許容度がやや低いとなると、これはもう撤退する。

 

前者がイレギュラーは1つ、後者がイレギュラーが2つ、だ。

そうやって、並の営業成績で生き延びつつ、自分自身のモラル・プライドとの折り合いを付けていたのである。

 

振り返ると「罪の告白」になるのかもしれないが、とりあえずトラブルにはならなかったし、むしろ顧客からの評価は高い方だったと思う(正当化するつもりはない)。

「罪の告白」をしてまで申し上げたかったのは、人生において決断を迫られた時に、判断基準の一つとして、例示したかったから。

 

ある会社に転職するべきかどうか、という場面で、例えば判断材料として、職務内容、年収、人間関係、将来性、といった4項目があったとする。

その時、職務内容が希望とややズレていても、その他の条件は希望どおりであれば、それは新しい職務に出会うチャンスかもしれないが、職務内容も年収もズレているという風になると、(今の会社を辞めたくて仕方がなくても)そこは踏みとどまる、という判断だ。

 

完璧なチャンスを待っていては、現実的な成果を出すことはとても難しいが、際限なく妥協してしまえば、取り返しのつかない痛手を被る。

なので、「イレギュラーは1つまで」。

 

人に誇るような人生ではないが、20代の頃に決めたルールによって、何度も助けられたのではないかと思う。

まぁ、ご参考ということで。