人間到る処青山あり

諸々よもやま話(とりあえず)

習慣を「作る」

小生は日々の生活習慣をいじり倒すのが好きである。

継続できる習慣を作ることが趣味化していて、当ブログもその一つ。

 

当ブログ含め、日記を四つつけているというのは以前申し上げたことがある。

なぜそんなことをするかというと、人間を成長させるのは、習慣を変えることではないかと考えているから。

 

勉強だって稽古だって、才能や瞬発力で到達できるレベルはたかが知れていて、結局は努力の量がモノを言うのは各業界で明らかになっている話。

それを個人の頑張りで解決しようとするのは無理があって、故に、努力を習慣化することが解だと思うのだ。

 

習慣化にはコツがあって、その一は、「毎日続けられる範囲でしかやらない」と言うこと。

一日一行書く、3分でもトレーニングする、「そんなんじゃ意味ないだろう」という疑問やツッコミは一旦脇に置いて、「これだったら毎日できる」というレベルでしかはじめない。

 

続けるということが目的なので、どんなに簡単だったとしても、まずはそのレベルに止める。

裏を返すと、「だから絶対毎日続けなければいけない」ということでもある。

 

コツその二は、「レベルを上げるのは極めて慎重に」である。

続けられるようになると、多少負荷が上がっても、余裕でこなせるようになる。

 

そうなると、そのレベルに負荷を上げがちだが、それをやってしまうと、ちょっと調子の悪い時に、物凄く辛くなってしまう。

聞いたところでは、ボディビルディングを真剣にやっている人でも、年間で増える筋肉量は1キロか2キロしかないそうで、それを踏まえると、一年続けても習慣の負荷は2-3%までしか増やさない、というのが正しいかも知れない。

 

たかがそれしきなのだが、長い目で見れば、とてもインパクトがあると思う。

トヨタカイゼンは、改善効果そのものではなく、日々改善に取り組む習慣や、変化を当たり前とするマインドセットに本質があるとも聞く。

 

有名な言葉を最後に引用し、今日は終わりとしたい。

「心が変われば行動が変わる。行動が変われば習慣が変わる。習慣が変われば人格が変わる。人格が変われば運命が変わる。」

 

まぁ、ご参考ということで。

時代の変化を捉える

はじめに断っておくが、結論があるわけではなく、どうしたら良いのかな、という話。

先日も、電話が厄介だという話を書いた。

 

http://dai19761110.hatenablog.com/entry/2017/07/12/202848

新しいツールで既存のツールが時代遅れになるという話でもある。

 

先日も中国のビジネスで、口コミの蓄積が、既存の情報発信を陳腐化させるという現実を目の当たりにした。

口コミが蓄積されると、提供者側が関与した(かもしれないと思われるものも含む)情報は全く信頼されないし、全然知らない提供者の商品・サービスでも、買われるものは買われる。

 

そんな世界観では、大手だから、ブランドだから、という要素はプラスアルファくらいにしかならないし、むしろ「ありきたり」ということで、マイナスにすらなりうる。

他にも、サブカルチャーが市民権を得た感じは隔世の感があるし、デジタルディバイドは日々拡大していくし、一極集中は極端だし、ネット→テレビのバズるコンボは確定したし、新規事業開発のブームは経済史で最大だろう。

 

思いつくだけでもいくらもあるが、そういった見えない時代の変化、見落としている時代の変化を如何に捉え、さらにどう予測してチップを張るのか?

それを誰でも当たり前に捉え、予測できる方法はないかと、日々思案中である。

 

思いついたらまた共有したい。

まぁ、ご参考ということで。

 

 

事業再生のキモ

最近読んだ面白い記事がこちら。

https://www.advertimes.com/20170724/article255054/

 

衰退していた雑誌を、新しい編集長があの手この手で立て直すストーリー。

工夫満載なので是非ご一読を。

 

「衰退の力学」に反する新規事業開発はどのように進めるか、というのは以前書いたことがある。

http://dai19761110.hatenablog.com/entry/2017/06/02/201915

 

最近は「仮面ライダーモデル」と「ドラえもんモデル」と名付けているが、前者は仮面ライダーが「昔の子供」だった父親母親を取り込んでいることになぞらえ、「かつてのユーザーの今」に再設計するモデルで、後者はターゲットは「今の子供」だが、「今の市場」に最適化して再設計するモデルである。

それはともかく、冒頭の記事のように、新規事業開発という文脈ではなく、本業がダメになった場合、どう立て直すか、という問題は存在する。

 

ダメになった原因を分析して対処するという、コンサルっぽい普通のアプローチは当然やるべきだが、解決策は、多分以下の三パターンだと思う。

一つは、新規事業開発の話と同様に、顧客か市場の「今」に再設計するもので、事業モデルが古くなって市場と合わなくなった原因に対処する。

 

もう一つは、本業がもともとスタンダードとしていた原理原則を徹底するというもので、組織が抱えがちな内向き傾向や緩みが出ておかしくなった原因に対処する。

「当たり前」を徹底するだけで再生するパターンは多く、冒頭の記事はまさにそれ。

 

そして三つ目が、上記二つを一気にやる、というもの。

本当にダメになってくると、二つ目で止血しながら、一つ目で伸ばす、ということができないと、立ち直らない。

 

できれば事業再生なんて場面は、起きないに越したことはないが、新規事業開発で培った能力が生きる場面でもあるのだ。

まぁ、ご参考ということで。

 

 

辞め時

今日は政治の世界で辞任のニュースが続いた。

会社員の辞め時というか、現役であれば転職を決意する時、ということになるのだけれど、自身で何回も経験し、転職のお手伝いを仕事にしていた小生にとっても、残念ながらハッキリした理論があるわけではない(もちろん、辞めざるを得ないというのとは別)。

 

周囲の価値観とのズレが明らかになる、スキルや経験・待遇に頭打ち感がある、単純に飽きた、等々あるだろうが、いずれも理解できるといえば理解できるし、(転職先でそれが解決できるかは未知数なのだから)理由になっていないといえばなっていない。

転職したことがない方にとっては、ひょっとしたら、意外とライトな理由で転職するんだなと感じられるかもしれない。

 

しかし、転職にはタイミングはあると思う。

大した理由もなくなんとなく転職活動を始めたら、バババっと内定が出て、「さぁどうしよう」という相談はたくさん受けたことがある。

 

長々転職活動をして、なかなか決まらなかったのに、ある時拍子抜けするほど簡単に好条件のオファーが出たり。

そういうのを繰り返し見ていると、つくづくタイミングなのだな、という風に感じる。

 

理由はないがタイミングがある。

なんだか変な感じもするが、転職というのは結局「相手(採用企業)のある話」なので、理由があろうがなかろうが、お互いのタイミングが揃ったところで決まるということなのだろう。

 

なんか「おっさん化」して枯れた感想のようでもあるが、今日のニュースを受けて、つらつら考えた次第。

まぁ、ご参考ということで。

 

 

 

アイデアは質より量

これはもう、アイデア発想の領域では、鉄板で語られている話。

最近色々と考えていて、新規事業開発関連では特に、現実のビジネスシーンでは、圧倒的にアイデアの量(数)がたりてないのではないか、という問題意識に至っている。

 

量が確保できる働きかけを行っていないから、ボトムアップの提案の数が枯渇する。

量が確保されていないので、イマイチなネタをいつまでも抱えてブラッシュアップしようとする。

 

量が乏しいので、微妙な事業案を切り捨てる決断ができず、ズルズルと検討し続けたり、事業がやめられなくなったりする。

量が乏しいから、起案者への要求が厳しくなり、「志や覚悟」を求めてしまい、起案者のメンタリティとギャップが生じてしまう。

 

なので、まずはアイデアの量を追求することが、何よりも大事なのではないかと、最近考えているのだ。

まぁ、ご参考ということで。

 

「なぜ」を問うのは限界がある

製造業の現場では有名な、「なぜなぜ分析」という手法がある。

ある事象に対して、「なぜ」という質問を重ねていくことで(通常は5回)、事象が起きた真の原因を探るというものだ。

 

ちゃんとした本だってある。

https://www.amazon.co.jp/なぜなぜ分析-実践編-小倉仁志-ebook/dp/B00HZGBQGY/ref=pd_sim_351_1?_encoding=UTF8&psc=1&refRID=GC3WN696EAKJ5ZS74RJC

 

しかし、「なぜなぜ」には、やってはいけない領域もあると、個人的には考えている。

それは、人の気持ちに関わる部分だ。

 

「なぜその事業をやりたいと思ったのか?」「なぜ転職したいと思ったのか?」なんでも良いが、動機や背景、気持ちについて、「なぜ」を重ねられるのは、せいぜい2回だろう。

人間というのは、行動経済学を引き合いに出すまでもなく、極めて非合理な生き物である。

 

そこを論理で詰めても、大抵答えられないし、仮に答えられたとしても、間違った理由、こじつけの理由を引き出してしまうことになりかねない。

間違った理由を引き出してしまうと、その後のアクションを全て間違ってしまうことに繋がり、却って問題を生じる。

 

なので、「なぜかはうまく説明できないけれど、なんとなくこれが正しいと思う」という感覚を突き詰めすぎず、曖昧なことを曖昧にしておくスタンスも、時としてとても重要なのではないかと考えている。

きっちりビジネスに取り組んできた人にとっては、とても気持ち悪い話なのだが。

 

まぁ、ご参考ということで。

 

 

 

皆さんテレワーク、してますか?

今日はテレワーク・デイだそうである。

http://teleworkgekkan.org/day0724/

 

小生はお陰様でテレワークの様な働き方をさせてもらっている。

正確に表現するなら、会社に在籍している時間があまり取れない、という方が適切。

 

直行・直帰の世間一般に合理的な範疇で仕事をしているだけでテレワーク的になる、というだけなのだが、意味もなく出社させられない今の会社には深く感謝している。

個人的にはメリットだらけで、特にデメリットは感じない。

 

メリットは、

・圧倒的に時間が効率的

・お陰で業務量も増えるし、成果もモチベーションも維持しやすい

・仕事の負荷をコントロール出来るので体調を崩しにくい

・家族との時間が取れるので極めて円満

・寝る前にチャチャッとメールを返しているだけなのに、「すごい遅くまで働いている感」が出る(笑)

ということが代表だろうか。

 

ただし、テレワークを推進するために、幾つか気をつけていることがある。

・モバイルPCの機動力

→オフィスをそのまま持ち歩くだけのスペックと、持ち歩いて嫌にならない軽さ、使い勝手の両立、そしてやっぱりリュック(苦笑)。

 

・ペーパーレス

→上記の論点と近いが、紙の資料ベースで仕事をしていると、どうしてもテレワークにならない。

はじめは多少不便かもしれないが、ペーパーレスに振り切れば、圧倒的な便益を享受できる。

 

・こまめなレポート

→離れているので、普段何と向き合っていて、どんなことに笑ったり困ったりしているのかを、上司と日常的に会話する。

特に「困っている」は、上司も普段部下がいなくて寂しいので(笑)、ここぞとばかりに頑張ってくれるし、そういう意味では信頼関係の醸成にも効果あり。

 

・フットワークの軽さ

→家から離れられなくてテレワークという方もいるけれど、幸いにして小生は逆なので、会社に居ない利点を生かし、極力、現地現物現場に行けるように努めている。

それによって新たな発見もあるし。

 

まぁ、ご参考ということで。