人間到る処青山あり

諸々よもやま話(とりあえず)

フルスイング、してますか?

なんとなくこんな記事が目に入る。

toyokeizai.net

 

前例踏襲型の無難な試みが若手にも定着してしまい、より一層イノベーションが起きなくなっているのでは、という内容だと理解した。

新規事業提案のお手伝いなどをしていると、起案者が慎重な提案をし、それを聞いた偉い人が「もっとドカンとやったらえぇやん」という示唆をされ、ほのぼのするという場面は一度や二度ではない。

 

ほのぼのはするけども、裏を返せば、「もっと思いっきり振っていけ!」という期待感と失望感(と言うのは、大袈裟か)なので、あんまり慎重な提案も考えものである。

時々、小生も見失いそうになるのだが、新規事業提案・スタートアップ界隈で言われる「スモールスタート」というのは、最初から大きな投資をすることで致命的な失敗をしない為だったり、大きくすることでスピードが遅くなり、機会を逸することを避ける為に、スモールスタートを切るのであって、決して「スモール」なビジネスをすることではない。

 

もう一回言う。

「スモールスタート」は、決して「スモール」なビジネスをすることではない。

 

あくまで大きなビジネス、大きな投資を見据えて、そのフィジビリティとして「スモールスタート」するということを忘れないようにしたいもの。

偉い人たちだって、折角忙しい時間を使って、楽しみに起案者の事業提案を聞きに来ているのだから、初球からバントの構えなんか見せたら、却って不興を買う。

 

「当たればデカそうだね」というフルスイングを見せるからこそ、偉い人に時間を割いてもらった価値があるというものだ。

自戒を込めて。

 

まぁ、ご参考ということで。

 

辞めた会社に対するポジティブなバイアスについて

人間というのは、過去を美化する生き物らしい。

いつまでも過去の苦しみに囚われていては、生きていけない故の防衛本能だろうと思っている。

 

それが変な形で現れるのが、表題の「辞めた会社に対するポジティブなバイアス」だ。

人間、せっかく意気揚々と転職しても、必ずしも順調な時ばかりではない。

 

そうなると、「あぁ、自分は前の会社では恵まれてたのかもしれないな、今の会社に比べれば、やっぱり良いところもたくさんあったよな」なんて思ってしまう。

確かにそうかもしれない(酷い会社に入ってしまえばもちろんそうだ)。

 

しかし、そうは言っても「なんだかんだあって」前の会社は辞めたのだ。

その事実を忘れてはいけないし、忘れてそんなふうに考えてしまうのは、大なり小なり前の会社に対する、ポジティブなバイアスがかかっている面は否めないと思う。

 

だいたい、「前は良かった」なんて考えたところで、取り返しはつかないのだし。

とはいえ、先々を見据えて注意をしなければならないのは、それでまた転職した時に、やっぱりその直前の会社も「良い思い出」になってしまうこと。

 

二社三社と転職をすると、いろんな会社の良かった思い出が積み重なり、過去の会社の良いところばかりの寄せ集めと、今の環境を比較するようになってしまう。

そんな存在しない上にバイアスがかかった寄せ集めと比較して、勝てる会社など存在しないわけで、転職を重ねた人は、どんな環境でも不満を感じるようになる怖さがあるのではないか。

 

もちろん何でも許容しろというつもりは無いのだが、現状への不満が、過去の環境との相対的な比較の中で出てくる場合は、ひょっとしたらバイアスがかかっているのではないかと、冷静に振り返った方が良いと考えている。

まぁ、ご参考ということで。

営業には勇気が必要

営業には勇気が必要というのは、小生の拙い営業経験からくる持論である。

「勇気が必要」というのには、いろいろ解釈はあると思う。

 

社外の人と折衝するというのに、そもそも勇気が必要という人もいるだろう。

本音では、断られるのが自分を否定されたようで怖い、という人もいるだろう。

 

業績達成のために、正しくない売上を計上する誘惑にかられることもあるだろう。

既に目標を達成しているから、仕掛り中の案件を来期に回したくなる誘惑にかられることもあるだろう。

 

業績未達で、「人間未満」の扱いをされるのが怖いという人もいるだろう。

日々「立ち泳ぎ」のような営業活動を、いつまで続けられるのか、不安になることもあるだろう。

 

お客様からいつ切られるかわからない恐怖もある。

会社や自分自身が時代遅れになる恐怖もある。

 

しかし、それらの恐怖を乗り越えてなんぼ、というのが営業。

辞めたくなる気持ちはわかるし、辞めても別に構わないけれど、辞めるのにも勇気が必要。

 

でも、勇気を出して何かやるから、楽しいんだと思うけれど、ね。

まぁ、ご参考ということで。

 

 

上手に「下駄を預ける」

「下駄を預ける」という慣用句は、一任する、悪くすると丸投げする、というニュアンスがあるように思うが、ビジネスのコミュニケーションにおいて、特に上位者(上司、面接官、クライアント)との会話において、上手に行うことが大事ではないかと考えている。

「上手に」というのは、判断における検討プロセスは預けずに、自身が当事者として深く検討し、その良い点悪い点も整理した上で、結論をはっきり伝え、最終的に「やるかやらないか」「右か左か」の判断を、相手に委ねるというやり方である。

 

あくまで、その案件のプロとしての自分の結論は、理由を明示して示す。

その結論を受け入れるか、否定するか、第三の道を見い出すかを、相手に委ねるということだ。

 

自分の結論をハッキリ伝えることは、一見勇気がいるが、決してそんなことはない。

実は上位者が求めているのは大抵担当者の意見であるし、担当者の立場と検討プロセスをしっかり説明した上での結論であれば、たとえ受け入れられなかったとしても、視点や考え方の相違によるものでしかないので、その程度の多様性が受け入れられない相手とは付き合わない方が健全だ。

 

むしろ、小生が見ていて失敗するパターンというのは、結論を曖昧にしたり、相手の意向を探りながらコミュニケーションを取るような場合だ。

前者はもちろん、「だからどっちなんだ!?」というお怒りを買う。

 

後者は一見、うまく事を進めようとしているようで、却って混乱をきたしやすい。

説明を受ける相手は、判断がつかないから意見を求めているのであって、そこで腹の探り合いのようなことが始まると、「そんなんこっちもわからんわ!」みたいな展開になり、結論が出なかったり、怒られたり、悪くすると間違った判断に繋がってしまったりする。

 

ということで、結論はハッキリ申し上げた上で、最終的な判断は、相手に「下駄を預ける」。

とはいえ、プロとしての確信を持った意見が述べられるようにちゃんと仕事をするということと、変な炎上をしないように「立場」と「検討プロセス」を明確にする、というのが、とても大事なポイントではあるのだが。

 

まぁ、ご参考ということで。

 

 

 

 

 

 

上司の指示を聞く、その前に

海外駐在員の方から聞いたことがあるのだが、日本人駐在員に雇われていた家政婦は、別の国の駐在員のところに行くと嫌われるそうである(なのでそもそも雇われないらしい)。

というのは、日本人駐在員(とその奥様)が、家政婦を「使う」ことを遠慮してしまうので、そういう環境に慣れた家政婦は働かなくなってしまうそうだ。

 

日本人は戦後の人手不足の中で組織が作られていった背景もあり、ボトムアップ・ミドルダウンと言われる風土であることが多く、下の人間が上や組織全体の意向を「忖度」し、自律的に考えて動いていくことが優秀とされる。

それはそれで素晴らしい美徳ではあるのだが、反面で人を「使う」のが下手な上司を量産しやすいのだと思う。

 

そうなると上司の仕事は、自律的に働く部下を育成することと、部下のモチベーションを高めることがメインミッションになり、本来「駒」としての役割もある部下を、上手く使いこなせなかったり、判断業務ができなくなったりしかねない。

人を「使う」というのは結構難しくて、何を何時までにどのレベルで、というのを都度都度指示しなければならないし、部下の業務量が見えていなければ、別のところに皺寄せが起こるので、優先順位も付けられなければならない。

 

皆さんは、上司からの毎度の業務命令で、必要でもない資料を作らされたり、見当違いのミッションに振り回されたりしていないだろうか?

殆どの場合、上司の「使う」能力がビミョーだからだが、上司を無能だと嘆いていても事は解決しない。

 

小生の経験上、検討外れな指示が来る場合というのは、上司自身が現場の細部や、逆に全体像が見えていない故に、何でもかんでも余計なタスクを投げてくるのだと考えている。

そういう、「見えていない」人に、いちいち付き合っていたら、本業がおろそかになってしまうので、真面目にタスクをこなさない方がいいと思う。

 

そういうタスクが振ってくる背景というのは、「見えていない」ということが原因なので、10個のタスクがあったら10個全部こなそうとするのではなく、今現場に何が起こっているのか、全体としてどういう行動をするのが正しいのか、というポイントが見えるように、順番と中身を整えてタスクを返していくのである。

そこいらで、「まだ6つ7つ残ってるんですけど、前向きな業務とのバランス考えるとちょっと微妙なので、そっちに戻ってもいいですかね?」という相談をすると、大体は「わかったわかった」で終わる。

 

上司は「見えていない」不安が解消してハッピーだし、こっちは余計な仕事をせずに済んでハッピー、前向きな業務に取り組めるから組織としてもハッピー、そういう循環を図っていきたいものである。

まぁ、ご参考ということで。

 

目の前の一つ一つの人間関係を大事に

昨日更新をお休みしてしまったのは、長年お世話になった大先輩の、リタイアメント慰労会を行なっていて、想定以上に長くなってしまったから。

最初はなんとなく楽しく「お疲れ様でした」という感じで食事をし、積もる会話を重ねていた。

 

しかしその最中、ふと「この大先輩とあと何回、こうして席をご一緒できるのだろう」と不安に思ってしまい、「とことん行く」ことにしてしまったのだ。

大先輩は65歳でリタイアされたのだが、その歳までバリバリ働いていれば、持病の一つや二つはお持ちでいらっしゃる。

 

もちろんご年齢はまだまだお若い。

しかし、一年ぶりくらいに再会した第一印象は、「随分お痩せになったなぁ!」というものだったし、つい先日67歳でお亡くなりになった先輩の葬儀に参加したばかりということもあり、ご本人には大変失礼だが、真剣に心配になってしまった。

 

そして引退してしまった以上、放っておいたら先輩の方から小生に声を掛けてくることもなく、自宅近隣に引っ込んでしまうはずだ(現役の忙しい後輩を、こちらから呼びつけるようなことはしない、気遣いの人である)。

そうなると、こちらから引っ張り出して食事でも、と強引にお誘いしない限り、かなりの確率で二度とお会いしないことになってしまいそう、そう思ったのだ(それは嫌だ)。

 

それにしても、相手の年齢にかかわらず、人間関係とは儚いもので、自分の首を締めるような話ではあるが、目の前の一つ一つの関わりを、大事に大事にしたいと感じた次第。

まぁ、ご参考ということで。