人間到る処青山あり

諸々よもやま話(とりあえず)

目の前の一つ一つの人間関係を大事に

昨日更新をお休みしてしまったのは、長年お世話になった大先輩の、リタイアメント慰労会を行なっていて、想定以上に長くなってしまったから。

最初はなんとなく楽しく「お疲れ様でした」という感じで食事をし、積もる会話を重ねていた。

 

しかしその最中、ふと「この大先輩とあと何回、こうして席をご一緒できるのだろう」と不安に思ってしまい、「とことん行く」ことにしてしまったのだ。

大先輩は65歳でリタイアされたのだが、その歳までバリバリ働いていれば、持病の一つや二つはお持ちでいらっしゃる。

 

もちろんご年齢はまだまだお若い。

しかし、一年ぶりくらいに再会した第一印象は、「随分お痩せになったなぁ!」というものだったし、つい先日67歳でお亡くなりになった先輩の葬儀に参加したばかりということもあり、ご本人には大変失礼だが、真剣に心配になってしまった。

 

そして引退してしまった以上、放っておいたら先輩の方から小生に声を掛けてくることもなく、自宅近隣に引っ込んでしまうはずだ(現役の忙しい後輩を、こちらから呼びつけるようなことはしない、気遣いの人である)。

そうなると、こちらから引っ張り出して食事でも、と強引にお誘いしない限り、かなりの確率で二度とお会いしないことになってしまいそう、そう思ったのだ(それは嫌だ)。

 

それにしても、相手の年齢にかかわらず、人間関係とは儚いもので、自分の首を締めるような話ではあるが、目の前の一つ一つの関わりを、大事に大事にしたいと感じた次第。

まぁ、ご参考ということで。

 

 

学んだものを捨てられるのか?

伝え聞きのエピソードで恐縮だ。

ある国の軍隊の格闘技教官が、訓練の最終試験として、実戦のシミュレーションを課すそうである。

 

(テーマが物騒で申し訳ないのだが)要人のオフィスに潜入し、暗殺するというミッションを、マネキン相手に訓練生に実行してもらう。

訓練生は皆、ひっそりと要人の後ろに回り込み、首を絞めるなりなんなり、学んだ技術でミッションを遂行する。

 

訓練生全員が終わったところで、教官は模範解答を示すのだが、教官は要人のオフィス入口に居る秘書のパソコンのモニター(当時はブラウン管)を投げつけるところからはじめ、その場にあるものを使ってマネキンを無茶苦茶にしてしまうそうだ。

その教訓はもちろん、「求められる結果を最短で実現できる方法を、その場で判断・選択・実行することが肝要で、技術に囚われて間違った行動をとってはいけない」というものである。

 

そのエピソードを聞いた当時、小生は既に武術を数年納めていて、衝撃を受けたものである。

学んでしまえば、それを大事にする心理が働いてしまう。

 

学んだプロセスが長くなればなるほど、負けられない、捨てられないというプレッシャーが積み上がっていく。

しかし、それに囚われてしまうと、その場での最適解が見えなくなってしまう。

 

修練を積んだ人間ほど、容赦無く学んだものを捨て去る勇気が必要で、学んだことにこだわるほど、却って負けるリスクが高まるということがあるのではないだろうか。

まぁ、ご参考ということで。

 

人生で何を残すか?

こんなことを考えるなんていよいよオッさんだなとツッコミを入れつつ…。

以前も言及したことがあるが、後藤新平の言葉に、「財を遺すは下、事業を遺すは中、人を遺すは上なり」という言葉がある。

 

先日、ある会社の太陽光発電事業について、知人と会話をした際に、小生の個人的な意見として、あまり評価していない、という意見を述べた。

知人からすれば、タイミングの良い時期に投資をし、以降数十年に渡って(ルール上は)安定したキャッシュが入るので、良い判断だったのでは、というコメントであった。

 

もちろん、その会社の株主や融資している金融機関であれば、全くその通りの判断であろう。

しかしその様な投資というのは、裏を返せば「後には金しか残らない」リスクがあると考えるのだ。

 

安定したキャッシュフローが確定した投資など、なんの不確実性もなく、なんの工夫もいらないし、端的に言えばバカでも出来る(そういう案件を引っ張ってくることは立派だが)。

それで収益が確保できたって、その運営に携わる社員は、結局なんの経験もできず、使い物にならない人材が量産される可能性があるので、数十年が経過した後は、「金しか残らない。」

 

金が残ればいいじゃないか、と思われるかもしれないが、金というのは稼ぐことより、有益に使うことの方が難しい。

使い物にならない人材が、金だけ手にしたって、ロクなことにならないのだ。

 

だからこそ、「人が残る」ことを必死に考えなければならないのだと思う。

とは言え後藤新平は、「されど財無くんば事業保ち難く、事業無くんば人育ち難し」とも言っているらしいのだが(苦笑)。

 

まぁ、ご参考ということで。

学んだ知識は使ってみないとわからない

最近読んでなかなか面白かった本に、「確率思考の戦略論」という本があった。

https://www.amazon.co.jp/確率思考の戦略論-USJでも実証された数学マーケティングの力-森岡-毅/dp/4041041422/ref=sr_1_1?ie=UTF8&qid=1493288936&sr=8-1&keywords=確率思考の戦略論

 

USJを成長させた、業界でも有名なマーケターである、森岡さんという人が書いた本だ。

詳細は本書に譲るが、「戦略とは、プレファレンス(選ばれやすさの様なもの)、認知、配荷を如何に上げるかである」「プレファレンスは、ブランドロイヤルティ、スペック、価格で決まる(意訳)」という記載があった。

 

事例を交えた説明は、「ふんふんなるほど」という感じで、折に触れて人にも面白い本として紹介していたが、どうも上記二点を憶えているのに苦労した。

ところが、ある時ご相談いただいた案件について、本の内容を紹介しつつ解決策を上記二点にはめ込んでいくと、スパッと見事に収まるではないか。

 

今更であるが、「あぁ、こういうことか」という腹落ちと共に、少なくとも忘れにくくなっただろうなと思った次第。

昔から、教えることは学ぶこと、なんていうのも言われるが、なんせ知識は使ってなんぼだなと、いいオッさんになっても気付かされる、未熟ぶりである。

 

まぁ、ご参考ということで。

モノを「みる」目とは

「みる」という単語には、多くの漢字があてられる。

見る、観る、視る、診る、看る…。

 

武道の稽古では、師匠が何気なくやってみせた技から、どれだけのモノを見いだせるか、というのが勝負であり、修行者としての行く末を分かつ、致命的なポイントでもある。

そんなことを思い出したのは、こんな記事をたまたま目にしたから。

 

http://gigazine.net/news/20170425-life-of-bob-ross/

ボブ・ロスというアメリカ人画家にまつわる話なのだが、彼はテレビ番組を持っていて、それは30分の番組枠で、何もないところから魔法の様に美しい風景画を完成させる、というある種「ショー」の様な内容であった。

 

NHKで放送されていた当時、小生は食い入る様に見ていたものである。

何もないキャンバスに、思いもよらない一筆が、あとあと見ると完成された風景画の一部として組み込まれていく様は、驚きと感動をもたらすものであった。

 

ある時、青空を背景に雪山を描く、というテーマの回があった。

青く塗られたキャンバスに、ボブ・ロスはいきなりグレーの絵の具を切りつける。

 

「おいおい、雪山なんだからそこは白だろ!」という小生の心の叫びを置き去りに完成した絵は、見事な雪山の絵であった。

そう、素人は「雪山=白」という固定観念でしかモノが見られなくなってしまっているのだが、プロはまさに、目の前のモノを、ありのままのカタチ、ありのままの色彩で見ているのだ。。

 

だからこそ、雪山の中にあるグレーの色彩を見出し、ありのままのカタチを表現するために、絵画用のナイフで切りつけて描くという行為に出たのである。

当時小生は、中学生か高校生か、記憶も定かでないが、その道のプロと素人とは、同じ事象を前にしていても、明らかに違うモノを見ているのだと、強烈に印象に残ったのである。

 

そんな話は、社会人となってビジネスの世界に入ってからも、日々思い知らされながら、今日に至っていて、今も日々プロとしての目を試されている様な気がしている。

それはどんなビジネスパーソンも、大なり小なり同じであろうと思う。

 

みなさんのモノを「みる」目は、どんな目であろうか?

まぁ、ご参考ということで。