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人間到る処青山あり

諸々よもやま話(とりあえず)

情熱×ノウハウ×リソース

事業なり、プロジェクトなり、成功要因を因数分解した一つのあり方が、「情熱×ノウハウ×リソース」だと思う。

全部が揃っていれば、多分成功すると思う。

 

なので、成功するには三つのうち何が足りないかを見極めて、足りない部分を賄う努力をすれば良い。

自分で賄えなければ、誰かと組むというのも手だ。

 

組んだ以上は、組んだ相手と納得感がある成果配分を設計する。

そこをケチるとロクなことがないのだが、案外わかっていない偉い人が多いので要注意だ。

 

とはいえ、情熱も、ノウハウも、リソースも、一定のレベルに引き上げるのは容易ではない。

物理的に最も制限があるのはリソースだが、「人」や「金」の世界であれば、「勝ち筋」が見えると案外集められる可能性はある。

 

一方で、ノウハウはネットで調べればかなりの情報が得られる時代になったものの、検索の深さはまだまだ個人で差が付くし、ネットに出てこないさらに深い最新の知見を得るのは、テクニックを要する。

そして最も厄介なのは情熱だ。

 

表面上情熱的に見えても、簡単な障害であっさり折れてしまう程度かもしれないし、ゴールに近づくことによって初めて盛り上がってくる情熱だって存在する。

モチベーションは与えることは、本当に難しい。

 

そんなことを考えながら、日々新規事業のお手伝いをしている。

まぁ、ご参考ということで。

 

アクセルとブレーキ

個人的に気をつけていることなのだが、何事も(仕事でも遊びでも)アクセルを踏む瞬間と、ブレーキを踏む瞬間というのがあり、それらを「意識的に」行えているかどうかが大事なように思う。

イデアを「出す」場面と「叩く」場面は分けたほうがいい、と教わった話と似ているような気もする。

 

まっとうに仕事を続けている人間であれば、ブレーキを踏みっぱなしということは無いと思うが、安直に踏むことが多くなると、コースを走るタイムはだんだん遅くなっていくだろう。

しかし、気をつけたほうがいいのはきっと、知らず知らずのうちに、アクセルを踏みっぱなしにしてしまうことで、本人的には頑張っているつもりでも、オーバースピードでコーナリングが膨らんでしまったり、ホイルスピンで結局タイムロスをしてしまったり、酷くすると車を傷めたり、なんていうことにも繋がってしまうのではないだろうか。

 

大事なことは、今アクセルをベタ踏みするシーンなのか、きっちり減速する場面なのか、そこを正確に見極めて、その上で最速タイムを出せるようなアクションになっているか。

我を忘れてアクセルやブレーキを踏みすぎることなく、自分自身をコントロールできているか。

 

そのあたりは常に冷静でありたいと思う。

まぁ、ご参考ということで。

 

日本の会社にはプロが居ない

まぁ、「居ない」は大袈裟だ。

「結構少ない」位だろうか。

 

エージェント専業で仕事をしていた時に、クライアントの人事で、「いや〜、これまで営業一筋だったんですが、この度どういうわけか人事部長を拝命しまして…、しかしウチのメンバーは優秀で助かりますわ〜」みたいな人にお会いしたことがある。

おいおいメンバーはいい迷惑だなと可哀想に思いつつ、具体的な中途採用ポジションの話になると、「いや、そのポジションはその道の経験が深い人じゃないとダメなんです!!」というご依頼で、「お前がいうか?!」と心で激しく突っ込んだものである。

 

日本の会社には、美しき「ジョブローテーション」という制度があり、時折上記の様な「なんじゃそりゃ」的な事案だったり、異動と共にノウハウがゼロリセットしたり、という非効率が蔓延したりする。

プロでない故に初動が遅れ、それが積み重なると「まずは様子を見る」のが習慣になって、ますます非効率に、なんていう悲惨な事態も起きたりする。

 

なのになぜジョブローテーションがあるかというと、当然メリットがあるからだ。

日本は会社に新卒がまっさらの状態で入ってくるので、当然その時点ではどんな適性があるかわからない。

 

なので色々な職種をローテーションしながら、最も活躍できる適性を探れるという、働く人にとって、大変ありがたいものだったりする。

また、色々な職種を経験するということは、スキルに幅が出るということでもあり、当然視野は広くなる。

 

それに、異動を通じて社内の様々な部署と接点が出来るので、組織の中で「高度な根回し」が出来る様になるのだ。

元々は、高度経済成長期に圧倒的な人手不足になり、みんなでなんでもやらなければならなかったのが発祥、という説もあるので、時代と合わなくなっている面もあるのかもしれないが、会社員である以上、良い点を理解した上で最大限活用し、悪い点を避ける様に動いていきたいもの。

 

もっとも、そういう小生はもはやジョブローテーションとは関係ないワーキングスタイルになってしまったが(苦笑)。

まぁ、ご参考ということで。

いま学生だったら、どの会社に入る?

社会人経験をそれなりに積んだいま、学生だったとしたら、どんな会社に入るだろうか?

完全な「タラレバ」論なので、考えるだけ無駄な様な気もしないでもないが、時代感や企業を見る目を考える意味では、悪くない思考実験だと思う。

 

小生が直感的に考えるのは、ITの業務系・基幹系システムコンサルに入る、ということ。

小生が銀行を新卒で選んだのは、「企業経営」を俯瞰して学び、番頭役としてプロになりたかったからだけど、その視点で考えると、システム切り口で経験した方が、21世紀を生きる人間としては、より面白かったのでは、と考えるからだ。

 

とは言え、それは金融目線を身に付けたからそう思うのであって、システムコンサルでキャリアをスタートしたら、後々までファイナンスがわからないことに悩まされてしまうかもしれない。

また、今にして思うと、二十代は合気道の修練も集中して学んでいた頃で、プロジェクトの進捗で土日も無い様なコンサル業務というのは、やっぱり選べなかったんだと思う。

 

そう思うと、結局同じ道が一番心地良いのでは、というなんとも馬鹿馬鹿しい話になってしまうのだが、一方で上記の通り、個人的には「企業経営」を俯瞰して見ることに興味関心があるのだ、ということを認識するのは、現在の業務や今後のキャリアを考える上で、意味のあることだと思う。

さてさて皆さんは、いま学生だったら、どんな会社に入るだろうか?

 

まぁ、ご参考ということで。

市場分析についての考え方

新規事業に関連して、検討している事業案の対象市場が何で、それがどうなっているか、というのはとても重要な論点である。

そもそも、成長している市場を探し出し、事業案を後から検討するという考え方もある。

 

しかし、市場分析をするためのデータというのは、大きな括りの業種別だったり、地域別だったりなど、公的セクターや全社視点で使えるかどうか、というタイプの物が多い。

新規事業開発においては、適切な分析データが無い、というのは良くある悩みである。

 

しかし、データが無いより罪深いのは、無いからといって関係ありそうな「それっぽい」有望巨大市場を参照して、社内説明に使ったり、安心したりしてしまうことだ。

なので、新規事業開発で市場分析をする際に、小生が気をつけなければならないと考えているのは、以下の二点だ。

 

一つは分析の目的で、市場分析は事業案が関わる市場の「力学」を知るために行うということだ。

勝者が更に勝ち続け、大手が寡占しているのか、トップが常に入れ替わる群雄割拠状態なのか、技術革新が起きているのか起きた後なのか、などなど。

 

事業を作る以上、戦って勝利するために行うわけで、その戦場はどんな地形、天候なのか、というのは当然理解しておくべき。

※もう一段レイヤーを落とし、「業界分析」というのもあるが、これは例えていうなら「ゲームのルール」、すなわち「何をもって勝ちというのか」を把握するためのものと考える

 

もう一つは、事業の提供価値を見定めて、「その価値を評価してくれる顧客はどれ位いるのか」という観点で分析しなければ、意味が無いということだ。

例え、顧客ターゲットがグローバルで何億人・何万社存在しようが、考えている商品・サービスにお金を払ってくれる程の価値を感じている人が一人も居なければ、売上は永遠にゼロである。

 

とは言え、「その価値を評価してくれる顧客はどれ位いるのか」という問いに答えてくれる外部データは存在しないので、結局はマクロデータと、アンケート・インタビューなどを組み合わせた推計、あるいは「手応え」に近い実感値になってしまうことが多い。

しかし、だからと言って「それっぽい」データを引用して取り繕っているだけでは、事業を見誤ってしまうし、いつまでも不安の中で事業を推進する羽目になる。

 

ということは、アイデア出しのための市場分析(有望市場から事業案を探すパターン)を除けば、実は市場分析というのは、検討プロセスの中盤以降で良いと思っている。

序盤は先ず、事業が提供する価値は何であるべきか、其処を見定めることにパワーを割きたいし、見定めてからでないと、上記の通り良い市場分析が出来ないからだ。

 

まぁ、ご参考ということで。

 

なぜ人は出世を目指すのか?

「出世する人になりたければ、◯◯しなさい」的な記事をたまたま読んだのだが、きょうびのビジネスパーソンで、「出世したい」と思っている人は、どれくらいいるのだろうか?

より大きな仕事、より影響力のある仕事をしたい、というモチベーションはわかる。

 

ネガティヴな言い方だが、それは承認欲求の肥大化だし、ゲームでハイスコアを目指すようなものだろう。

そのための手段として、出世が必要ならば、手段と目的を混同しないレベルで努力すれば良い。

 

繰り返すが、そのロジックならわかる。

しかし、出世するために組織に隷属するとか、ハッタリだけのお勉強をしたりとか、出世する人は長財布を使うんだ、みたいな話はよくわからない。

 

もともと、日本の賃金カーブというのが、大企業は長く勤めるほど有利、役職が上がるほど有利な構造になっていて、会社員と専業主婦の家庭環境からも、一つの会社で長く勤めて上を目指すのが最適な戦略だった訳だ。

しかし、今や賃金カーブはフラット化し(同一労働同一賃金なんてもっとフラットだ)、それもあって専業主婦は激減し、共働きゆえに男性社員の家庭へのウェイトも父親世代とは比較にならないくらい上がっていて(それでもまだまだ個人差が大きいが)、会社への隷属は現実的には厳しくなっている。

 

労働力人口の減少を考えると、共働きはもうデフォルトなので、「会社にベッタリでその見返り的に評価を得る」というのは、現実的にそれが出来る人が居なくなり、能力・実績ベースでの人材評価に、グッとシフトしていくのではないだろうか。

イメージとしては、「頑張って偉くなる」というより、「自然と優秀な人が浮かび上がっていく」みたいな、もちろん昔からあった流れだけれども、少なくとも「モーレツサラリーマン」はもう終わりなのではなかろうか。

 

まぁ、ご参考ということで。

 

ゴミを拾う話

若い頃、当時のおじさんから、教訓めいた話をたくさんされて、こんな話はもうみんな知っているかと思っている。

が、最近の若い方とお話しすると、案外ご存じない方もいらっしゃるので、一応申し上げておく。

 

道端にゴミが落ちていた時に、人間のリアクションは三つに分かれる。

すなわち、気付いてそれを拾う人、気付くが拾わない人、そもそも存在に気付かない人、だ。

 

もちろんこれは、ビジネス上の寓話で、「ゴミ」をビジネスにおける「本質的な課題」と読み替えれば、それにちゃんと向き合って解決する人、課題は認識しているけどスルーする人、そもそも課題に気付かない人、と表現できる。

気付いてスルーする人と、そもそも気付かない鈍感な人と、どちらが罪深いか、という議論をされることは多いが、まぁ役に立たないという意味ではどちらも同じだろう。

 

一方で心の純粋な方からは、課題を認識しているのにスルーする人なんているの?という問いが出るのだが、往々にして「本質的な課題」というのは厄介なので、スルーしたくなる気持ちも理解できる話だったりする。

この、気付いて拾う人、気付くが拾わない人、気付かない人というアナロジーには、小生的な解釈を加えると、環境設計はどうなのか?というポイントを問いたい。

 

基本的にビジネスパーソンには、気付いて拾うことを求めたいが、一方で、拾っても捨てるゴミ箱がないという環境だったら、人はどんなリアクションを取るだろうか?

ゴミを持ってずっとウロウロできない以上、拾いたくても拾えない、ということもあるだろうし、一方で、拾って捨てるモチベーションがもともと高くない人でも、目の前にゴミとゴミ箱があれば、自然と捨てるアクションになりそうである。

 

なので、本人の姿勢も問題にするものの、あるべき行動を促す環境設計になっているのか、というのも、重要な論点だと思うのだ。

もちろんこれは、経営側の考え方で、個々の社員は、ゴミを見つけたら拾うべきなのよ、と思っているのだが。

 

まぁ、全然違う視点として、「私がゴミを拾えば、清掃を生業にしている人の仕事を奪うから拾わないのだ」なんていう人もいるけどね。

そういう人は放っておくとして。

 

まぁ、ご参考ということで。