人間到る処青山あり

諸々よもやま話(とりあえず)

上司の上司に会いに行こう

皆さんの上司はお幾つ位だろうか?

だいたい四十代か五十代だと思う。

 

小生は四十代に突入したばかりだが、普通の会社の四十代というのは、二十年くらい働いているわりに、小生も含めて経験がショボい事が多い。

80年代のバブル崩壊後に社会人デビューし、気がつけば「失われた十年」があり、いつの間にか「失われた二十年」になり、もうすぐ「三十年」になろうとしている。

 

その中で、新しいビジネスを開拓し、成功した人なら良いのだが、大概の人は、出来上がったビジネスの上で、それを一生懸命守ったり、改善してきた経験が中心だ。

そういう人たちに、若い世代が新しいビジネスプランを通じて、「夢を見させる」のは、本当に大変だ。

 

そう思うと、上司のさらにその上司の世代、今の六十代〜七十代のビジネス経験は、なかなか破天荒である。

会社も伸び盛りだったので、新しいことをたくさんやってきているし、先行投資型のビジネスプランも当たり前。

 

感覚的には、寧ろ彼らの方が若いというか、少なくともチャレンジ精神は旺盛だったのではないだろうか。

もし皆さんの会社の創業者や、引退された役員が顧問等で残って居られるなら、一度昔話を聴きに行ってはどうだろう?

 

エキサイティングなチャレンジにワクワクし、勇気付けられるかもしれないし、ひょっとしたら皆さんのビジネスを推進する根回しをしてくれるかもしれない。

きっと意味のある機会になることと思う。

 

まぁ、ご参考ということで。

制度は制度、運用は運用

新規事業提案のお手伝いをしていて、先日終わったばかりのプロジェクトで、制度や人事異動を伴えば、それで終わりという起案者の提案に対して、そりゃ運用までケアしなければ、絵に描いた餅でしょうというご指摘をさせていただく場面があった。

あたらしい事を提示すれば、一旦は完了と思われる人は意外と多くて、こちらとしては結構苦労してしまうのだが、制度や人事で事が済むなら、現状問題は起きていないはずだ。

 

大概の場合、その制度の運用がちゃんと行われていなかったり、行われているかどうかを、継続的にモニタリングする人がいなかったりすることに、そもそもの問題の真因があったりする。

これは人事制度界隈では、極めてベーシックな話題なのだが、こと事業提案、業務改革というテーマになると、運用まで思いが至らないケースはボチボチ存在する。

 

裏を返せば、運用面まで、出来うることなら撤退場面まで、考慮に入れた上で、起案をしなければ、意味のある提案にならないのだ。

当たり前の話なのだが、改めて言及して起きたい。

 

まぁ、ご参考ということで。

危機的な会社ほど、危機感がない

表題は著名な経営者の富山和彦氏(産業再生機構等歴任)が仰っていたことである。

今日たまたま、そんな経営危機についての話になり、思い出した次第。

 

小生は大企業を経て、小さな会社に転身をした。

はじめのうちはあり得ないくらい順調だったが、ある事件を境に、会社は猛烈な逆風にさらされることになる。

 

「すわ、修羅場」と覚悟を決めていた小生は、あっさり肩透かしを食うことになる。

そう、危機的な会社ほど、危機感がないのだ。

 

頑張らなければ潰れるという局面にあってすら、ほとんどの社員が、様子を見ているもの。

そこをただ、一人暑苦しく動いたところで、誰もついて来ず、結局収拾がつかないところまで行ってしまう。

 

自分が本気になって騒ぐほど、何一つ動かない社員のリアクションとギャップが開き、最終的に愕然とする結果をもたらす。

なので、あまり焦らず、コツコツと変化を起こして行くしかないのだ。

 

これは経験したことがある人にしか、中々理解してもらえないと思うのだが。

まぁ、ご参考ということで。

 

外部に繋がりを持つ

最近、「闇研究」「サイドプロジェクト」に興味があるので、ビジネスでの相談事を、そう言う切り口で見てしまうのだが、色々な企業でのイノベーションや人材育成についての課題を聞いていると、結局のところ、社員が自社のロジックで完結してしまっていることに限界があるのではないかと思う。

どうやったら新しい発想が生まれるのか、どうやったら強いビジネスパーソンが鍛えられるのか、そんな問いが多いのだが、アイデア発想研修で奇抜なことを考えても使い物にならないし、座学でMBAを取らせても、何でもできるようになるわけではない。

 

小生はたくさん転職しているので、どんな会社に入っても外人部隊だし、会社の中より会社の外の方が仲間が多い。

なので、その時所属している会社が、いかにズレているかというのは、結構詳らかに分かるものである。

 

そこで大騒ぎしても浮いてしまうので、基本的には求められない限り黙っているのだが、プロパーで育った人というのは、かなり凝り固まっていて、ものすごく簡単な問題でもてこずっている印象だ。

働き方改革なんて言うけれど、これまでの働き方同様、一つの組織に閉じた人間になってしまうと、結局苦しい思いをするのは当の本人ではないかと思う。

 

まぁ、ご参考ということで。

社会に爪痕を残す

今日、某社を代表するクリエイターと会話した際に、出てきた言葉がタイトルである。

正直、どちらが言い出したか覚えていないが、せっかく頑張って仕事に取り組むのだから、何か社会にインパクトを与えたいよね、という趣旨である。

 

ちょっと不穏当な表現ではあるが、別に目立ちたいとかそういうことではなく、形に残る、記憶に残る、歴史に残る仕事にチャレンジするのは、生存証明というか、本能的な欲求なのではないだろうか。

若い頃から、そういう感覚を大事にしてきたし、個人的にはもはや当たり前だと思っているので、みんな同じだと勝手に考えているのだが、いかがだろう?

 

社会に爪痕を残す欲求は、もちろん生涯をかけて実現させるようなものもあるし、その場その場、瞬間瞬間で発揮するものもある。

大概のミーティングで、何か爪痕を残すことを考えているので、「何のためにいるのかわからない」と思われることはないと思っているが、そういえば、「この人、何のためにいるんだろう?」という人は時々居る。

 

ということは、やっぱりみんな同じじゃないんだな、反省…。

ともかく、瞬間瞬間で爪痕を残す行為は、必ず次に繋がるので、絶対トライした方がいいと思うのだが。

 

言うまでもないが、爪痕を残すと言うのは、決して「傷付ける」と言う意味ではないので、念のため。

まぁ、ご参考ということで。

 

 

 

 

安直な副業を推奨するつもりはないものの

最近つくづく、これからの職業人が、会社の枠組みの中でビジネスに取り組むことが、どれほどの意味があるのかな、という風に思う。

もちろん会社に所属していなければ経験できないビジネスというのはある。

 

しかしその中で前向きに評価できるのは、あくまで伸びるビジネスに携われた時のような気がしていて、横ばいであれば、出来上がった仕組みをただ回すだけで、あまり意味ある経験にならないような気がするし、衰退事業であれば寧ろ経験しないほうが幸せなんじゃないか、とも思う。

もちろん、どんな経験にも意味はあるから、一概に否定するものではないが、少なくとも社会全体が縮小傾向にある中で、会社組織に属して成功体験を味わえる機会は減っていくだろう。

 

また、小生の周りで独立している人は、大体は会社員時代に経験とネットワークを作り、在職中からサイドプロジェクトをこなしながら成功している人が多い。

で、実際そういった方々のほうが、プロとしての見識も深く、さらに良い仕事を極めていかれているように思う。

 

サイドプロジェクトで言うと、小生の最近の仮説として、イノベーションの解はサイドプロジェクトなのではないかと考えている。

業務外で、それも物理的にも精神的にも離れた環境での取り組みが、結局新しいモノを生み出すような気がしている。

 

旧態依然とした組織と向き合っている人からすれば、ある種、反旗を翻すような取り組みかもしれないが、実は労働者は業務時間外に何をしようが勝手な存在であるので、やっちゃいけないというその思い込みが、色々な障害になっているのでは。

まぁ、ご参考ということで。

 

 

人手不足が止まらない

日本は言わずと知れた人口減少国家である。

一方で組織は人を雇い続けなければ、維持も覚束ない。

 

そのような意味では、長期で人材の「売り手市場」という読みは成り立つだろう。

それが崩れるとしたら、組織そのものが本格的にダメになって続々と倒れていくパターンだろうから、可能性はあるだろうが、近いタイミングで頻発するとも考えにくい。

 

一方で別のアングルもある。

社会の需要自体が減少していくことを考えると、組織は今までやって来たことを踏襲するだけでは縮小していくので、何か新しいことに取り組まねばならない。

 

そうなると、新しいことに取り組むための人材、既存の組織に新しい意味を付与してくれる人材が、安定的に求め続けられるのではないか。

かつて、既存の組織に新しい風を起こす人材は、求められつつ疎まれる感じがあったが、そのバランスが変わっていくのかもしれない。

 

しかし裏を返すと、今までのやり方をきっちり踏襲するタイプの人材は、徐々にマーケットニーズが衰退していく、という風にも言える。

これはタイプだと思うので、大きなマインドチェンジを求められる人は出てくることだろう。

 

まぁ、ご参考ということで。